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「昭和の貴重な語り部」 高見順

今日8月17日は、激動する昭和を、時代の変動とともに生きた定評ある作家・詩人・評論家で、膨大な日記を遺した高見順(たかみ じゅん )が、1965年に亡くなった日です。

1907年、今の福井県坂井市に、福井県知事の私生児として生まれた高見順(本名・高間芳雄)は、生後まもなく祖母、母とともに上京。府立一中を経て、旧制一高時代はダダイズムに傾倒し、東京帝国大学英文科に進むとアナキズムや左翼思想にのめりこみ、在学中に壺井繁治らと左翼芸術同盟を結成するいっぽう、「左翼芸術」「大学左派」などのプロレタリア文学雑誌に小説、評論などを発表しました。

1930年に大学を卒業すると、研究社の英和辞典の編集にかかわり、コロムビアレコードに勤務している1933年、組合活動のために治安維持法で検挙され、転向を表明したことで半年後に釈放されました。まもなく、雑誌「日暦」を創刊し、結婚したばかりの妻が他の男性と失踪して離婚するなど、心の苦しさを吐き出すかのように、短編『感傷』を発表すると、いちやく文壇の注目を浴びました。さらに1935年には「饒舌体」とか「説明体」と呼ばれる独自の語り口で描いた長編『故旧忘れ得べき』は、第1回芥川賞候補作になって、作家としての地位を確立しました。1936年には、武田麟太郎の「人民文庫」にも参加して『故旧〜』の続編を連載、10月に単行本として刊行してから文筆生活に入りました。

日中戦争が長期化する情勢のなか、思想犯保護観察法が施行され、擬似転向者として再調査されると、高見は逃れるようにアパートに部屋を借りて浅草生活に入り、『如何なる星の下に』を「文芸」に連載しました。この長編は三雲祥之助による挿絵とともに当時の浅草情緒をよく伝えた傑作として定評があります。

敗戦後は、私生児という自己の誕生の秘密に食いこんだ『わが胸の底のここには』にはじまり、『今ひとたびの』(1946年)、『胸より胸に』(1950〜51)など、私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表しました。

その他、昭和という時代を描いた連作『激流』『いやな感じ』『大いなる手の影』、詩集に『樹木派』『死の淵より』、評論には文学的証言として貴重な『昭和文学盛衰史』、膨大な日記『高見順日記』(正続16巻)は、昭和史の語り部としての貴重な資料です。また、晩年は、日本ペンクラブや日本近代文学館創立に尽力したことでも知られています。


「8月17日にあった主なできごと」

1807年 蒸気船の試運転…アメリカの技術者で発明家のフルトンが、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功しました。

1945年 インドネシア独立宣言…インドネシア独立運動の指導者スカルノは、オランダからの独立を宣言しました。オランダは独立を認めず、その後4年間の戦争に突入しました。

1949年 松川事件…東北本線の福島県松川市付近で、レールの釘がはずされていたため列車が転覆し、機関士ら3人が死亡する「松川事件」がおきました。この事件は、国鉄(JRの前身)の労働組合や共産党が仕組んだものとされ、労働組合員ら20人が逮捕されました。1963年に判決がおり、全員が無罪となりましたが、この事件をきっかけに政府の労働組合への取り締まりが強化され、日本の労働運動は急速に弱まっていきました。当時おきた下山事件、三鷹事件とともに「国鉄3大ミステリー」といわれています。
投稿日:2015年08月17日(月) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)