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「安政の大獄」 と梅田雲浜

今日9月14日は、幕末の儒学者で、つねに尊王攘夷運動の中心にいた梅田雲浜(うめだ うんぴん)が、1859年に亡くなった日です。

1815年、若狭国(福井県)小浜藩士の次男として生まれた雲浜(本名・定明 通称・源次郎)は、8歳のときから藩校の順造館に入り、山崎闇斎派の義理と実践を重んじる朱子学の影響を受けて成長、1829年に京都へ出ると、同じ崎門学派の望楠軒(ぼうなんけん)に学びました。1830年には江戸の藩邸で、尊王の学風のある山口菅山に師事して学問を深め、1840年に帰藩すると、祖父の家系である梅田氏を継ぎ、大津に湖南塾を開きました。

1843年には、再び京都に出て望楠軒の学塾の講主となり、梁川星巌や頼三樹三郎ら志士と交際を深め、1852年小浜藩主・酒井忠義に藩政改革の建言したところ、怒りに触れて藩籍をはく奪されてしまいました。

1853年のペリー来航には、江戸で吉田松陰らと対策を論じ、外国人排斥による攘夷運動を訴えて尊皇攘夷を求める志士たちの先鋒となって、幕政を激しく批判しました。水戸へも出て遊説を試みたり、大和十津川の郷士を組織して大坂湾に現れたロシア軍艦排除の行動もしました。1856年には長州藩に遊説して、同藩と京都、奈良、十津川間の物産交易の仲介をしたり、1858年になると、京都の公卿たちに働きかけ、幕府が日米修好条約を結んだことを朝廷が却下するよう求めるなど、つねに尊王攘夷運動の中心にいました。

このため、幕府の大老井伊直弼による「安政の大獄」の発端となって捕らえられると、在京の志士たちは衝撃を受け、長州の吉田松陰は獄中から雲浜救出の計画を立てたほどでした。しかし、捕縛後は京都から江戸に送られ、取調べに拷問を受けても何一つ口を割らず、獄中でかかった脚気のために病死しました。拷問での傷の悪化による死因説もあります。
 

「9月14日にあった主なできごと」

1321年 ダンテ死去…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれるダンテが亡くなりました。

1822年 ロゼッタストーン解読…1799年、ナポレオンがエジプト遠征の際に持ち帰ったロゼッタストーンを、フランスのシャンポリオンが解読に成功。古代エジプト文明の存在を解明するきっかけとなりました。

1849年 パブロフ誕生…消化腺と条件反射の研究で、ノーベル賞を受賞したロシアの科学者パブロフが生まれました。

1852年 ウェリントン死去…イギリスの軍人・政治家で、ナポレオンを2度にわたって討ち破ったウェリントンが亡くなりました。
投稿日:2015年09月14日(月) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)