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「個性的山水画」 の浦上玉堂

今日9月4日は、江戸時代後期に活躍した文人画家で、池大雅と並び南画を代表する浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう)が、1820年に亡くなった日です。

1745年、岡山藩の支藩鴨方藩(今の岡山県浅口市にあった小藩)の藩邸に生まれた浦上玉堂(通称・兵右衛門)は、兄が早世し父が7歳のときに亡くなったため、幼くして家の跡目を継ぎました。10歳で藩校に入って熱心に学び、武士としての素養を積んで成人すると、16歳で1歳上の藩主政香の御側詰となりました。2人はまわりの人たちから水魚の交わりといわれるほどでしたが、1768年に政香が亡くなり、兵右衛門は政香のめざした政治の理想をついで、37歳のころに大目付の地位にのぼりました。

しかし、藩士浦上兵右衛門として真面目な勤めぶりの反面、生来からの芸術家気質が、年とともにふくれあがってきました。10代のときに、江戸で中国伝来の七弦琴を教わり、以来この楽器に愛着を持ち、35歳のとき、「玉堂清韻」の銘のある七弦琴を手に入れると、「玉堂琴士」と号しました。

やがて40歳を過ぎたころから、琴や詩文、書画に親しむ玉堂に対し、周囲から非難の声があがりだし、43歳のときに大目付を免ぜられて閑職に格下げされてしまいました。すると1793年には仕官を辞め、翌1794年、50歳にして武士を捨て、春琴と秋琴という2人の子を連れて脱藩しました。

以後は自由人として、九州から奥羽まで漂泊しながら、詩集『玉堂琴士集』を著したり、琴、絵、書から医術まで気ままな生活を送り、晩年は京都に住みついて、生涯を終えました。

特に高く評価されているのは個性的な南画で、独学によって身に着けたといわれ、脱藩前の絵は少ないことから、脱藩後の放浪生活の中から天性の素質が発揮されたようです。1811年ころから多く生み出され、国宝となっている「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は 川端康成の愛蔵品として知られるほか、70歳を過ぎてからの作といわれる「山紅於染(さんこうおせん)図」 など、現代に通じる詩的で音楽的感覚の絵画は、近年になって評価を高めています。


「9月4日にあった主なできごと」

1943年 猛獣薬殺慰霊祭…太平洋戦争中、上野動物園の猛獣が空襲で檻から逃げ出すのを防ぐため、27頭の猛獣すべてを薬殺する命令が下され、この日慰霊祭が行われました。

1965年 シュバイツァー死去…アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、生涯を原住民への医療などに捧げたドイツの神学者・医師のシュバイツァーが亡くなりました。

1994年 関西国際空港開港…大阪・泉州沖の人工島に、関西国際空港が開港しました。世界初となる本格的な海上空港で、わが国初の24時間運用空港となりました。
投稿日:2015年09月04日(金) 05:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)