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『フランス革命史』 のティエール

今日9月3日は、フランスの自由主義的政治家・歴史家で、激動するフランスを生き抜きながら2度の首相と、第三共和政の初代大統領を務めたティエールが、1877年に亡くなった日です。

1797年、南フランスの港町マルセーユに、フランス革命によって滅びた貴族出身で公証人の子として生まれたアドルフ・ティエールは、地元の7年生中学を経て、エクス大学で法律を学び、1820年に弁護士になりました。まもなく、パリに出て自由主義に傾倒し、新聞記者として活動するうち、極右王党派と対立する政治家タレーランや銀行家ラフィットと親しくなりました。

1823〜27年に『フランス革命史』(10巻)を著し、王政復古に反対する自由主義的立場に立つ文筆の才で名声を得ると、1830年1月に新聞「ナショナル」を創刊して政府を攻撃しました。7月にシャルル10世が勅令を発布すると、「ナショナル」に抗議文を起草し、七月革命の中心人物となりました。シャルル10世を追放(ブルボン朝の滅亡)した後、オルレアン家のルイ・フィリップを国王に擁立すると(七月王政)、自身は財務次官、内相、1836年と1840年には首相となって活躍しました。しかし、イギリスに対する強硬な外交方針がルイ・フィリップと合わず、首相をギゾーに代えられると、議会でギゾーを批判し続けながら、『フランス革命史』の続刊を、ナポレオン1世の時代(11〜20巻)まで書き続けました。

1848年の二月革命でオルレアン朝が滅ぶと、フランスの秩序回復を目的としてルイ・ナポレオン(のちのナポレオン3世)をかつぎだし、ナポレオンのもとでも政治家として活躍します。しかし、ナポレオンが大統領、ついで皇帝になるとその専制に失望し、政界からの引退を表明し、史書の著作に専念するようになりました。

1869年から政界に復帰し、翌1870年2月の普仏戦争の最中に国民議会から行政長官に任じられました。普仏戦争でナポレオン3世がプロイセン王国に敗れて退位を余儀なくされた後、ティエールは新たに成立した国防政府の代表となります。プロイセンとの徹底抗戦を主張するかたわら、プロイセンの首相のビスマルクとの和平工作に尽力し、アルザス・ロレーヌ2州をドイツに割譲することで和睦を結びました。

その後、第三共和政期の初代大統領に選ばれますが、アルザスとロレーヌを割譲したことに怒ったパリ市民は、「パリ・コミューン」を創設し、ティエールは、一時的に政府をベルサイユに移してこれと戦い、2か月後に勝利しました。この戦いで、セーヌ川は赤く染まったといわれています。なお、パリ・コミューンは、後の社会主義、共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、短期間のうちに実行に移された数々の社会民主主義政策は、今日の世界に大きな影響を与えています。

その後ティエールは、大統領として戦争で荒廃したフランスの復興をめざしましたが、政府内で王党派と急進的共和派の対立があり、満足な政治を行なえず、1873年の国民議会の議決により、大統領辞任を余儀なくされたのでした。


「9月3日にあった主なできごと」

1189年 奥州藤原氏滅亡…平泉(岩手県)を中心に藤原清衡・基衡・秀衡と3代、およそ100年も栄えた藤原氏でしたが、秀衡が源義経をかくまったことがきっかけとなって、4代目の泰衡が源頼朝軍に滅ぼされました。清衡の建造した中尊寺金色堂(国宝)には、藤原氏4代のミイラが残されています。

1658年 クロンウェル死去…イングランド共和国の初代護国卿(王権に匹敵する最高統治権を与えられた職名) となったクロンウェルが亡くなりました。

1841年 伊藤博文誕生…明治時代の政治家で、初代、第5代、第7代、第10代の内閣総理大臣になった伊藤博文が生まれました。

1969年 ホー・チ・ミン死去…ベトナムの革命家で、フランス植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導したホー・チ・ミンが亡くなりました。
投稿日:2015年09月03日(木) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)