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「室町最後の将軍」 足利義昭

今日8月28日は、織田信長の援助で室町幕府第15代将軍になったものの、信長と敵対して敗れた足利義昭(あしかが よしあき)が、1597年に亡くなった日です。

1537年、第12代将軍足利義晴の次男として生まれた足利義昭(幼名・千歳丸)は、兄に嗣子の義輝がいたため、1542年に奈良興福寺一乗院に入り覚慶と名のりました。1565年に兄の13代将軍義輝が松永久秀らに暗殺された際は、ひそかに近江の和田惟政の館にのがれ、翌1566年に還俗して義秋を名のり、無力になった将軍の力を取り戻そうと、強い協力者を求めて上杉・武田・毛利らの戦国大名を訪ね歩きました。

1567年には若狭を経て越前の朝倉義景に頼ると、1568年4月に一乗谷で31歳にして元服し、義昭と改名しました。しかし義景を見限ると、7月に織田信長を頼って岐阜へ赴き、9月に信長とともに京都に入りました。すでに三好氏に支持されて14代将軍足利義栄(よしひで)がいましたが、信長の京都入りを知ると義栄は阿波へ逃げた後に病死したことで、10月に義昭は、15代将軍となりました。

武士の棟梁として、実質的に全国の大名を支配しよう夢見た義昭でしたが、武力による天下統一をねらっていた信長の思惑は違っていたために、両者の関係は徐々に悪化していくこととなります。信長は将軍権力を制約するために、1569年〜70年に、殿中御掟という掟書を義昭に承認させるなど対立が深まり、義昭は、毛利元就、大友宗麟、上杉輝虎(謙信)、武田信玄との講和を図り、浅井長政、朝倉義景、本願寺などの反信長グループをまとめて信長包囲網を作って対抗しだしました。

こうして1573年、信長に対する包囲網が完成したことで浅井長政、朝倉義景、武田信玄らとはかり、信長討伐の兵を上げました。しかし敗退し、信長のため将軍の座を追われ、室町幕府は滅びました。

その後の義昭は、幕府の再興をもくろんで、紀伊から備後の鞆(とも=今の福山市)に移り、毛利輝元に頼りました。こうして毛利氏・本願寺・上杉謙信による信長包囲が再びできあがるかに見えましたが、謙信の死と信長の鉄船の出現で本願寺は敗退、毛利氏も苦戦を強いられ、義昭の願いは絶たれました。

晩年は新しい支配者である豊臣秀吉の保護を受け、1587年に1万石の土地をまかない料として与えられ、出家して仏の道にもどったのでした。


「8月28日にあった主なできごと」

1573年 浅井長政死去…織田信長と同盟を結び、近江一帯をおさめる戦国大名となった浅井長政でしたが、信長と不和になって「姉川の合戦」に敗れ、自刃しました。

1583年 大坂城完成…豊臣秀吉がいまの大阪城である「大坂城」を築きました。秀吉死後は、遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大坂夏の陣で落城、豊臣氏は滅亡しました。

1749年 ゲーテ誕生…『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた文豪ゲーテが生れました。

1953年 民放テレビ開始…日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。
投稿日:2015年08月28日(金) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)