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「海苔の養殖」と近江屋甚兵衛

今日9月11日は、江戸時代後期に、江戸湾各地での海苔(のり)養殖に成功した近江屋甚兵衛(おうみや じんべえ)が、1844年に亡くなった日です。

1766年、江戸四谷に生まれた甚兵衛は、海苔商人の店に奉公し、その経験を生かして海苔の仲買人となりました。当時、海苔の養殖所は江戸の大森近辺しかなく、そのため海苔の売買は大森付近の問屋が独占していました。

仲買商人「近江屋」を営むようになった甚兵衛は、海苔の養殖と製造法を研究し、河川の流入する遠浅の海に「ひび木」 (海苔をつけて育てる枝の多い木や竹)を立てこめば必ず成功するとの信念をもつと、50歳をすぎたころから、江戸川の浦安から、養老川、小櫃川などで、各地の村人に勧めましたが、どこにも聞き入れてもらえません。

やっと1822年、上総人見村(今の千葉県君津市)で、名主源左衛門と八郎右衛門、4人の村人の協力をえた甚兵衛は、小糸川河口にひび木を建て、海苔養殖の指導をしました。苦労を重ねながら、1年後の1823年に成功すると、しだいに沿岸諸村から江戸湾各地に広まり、「上総(かずさ)海苔」と呼ばれるようになりました。しかし、大森付近の海苔の生産者や海苔問屋たちの抵抗にあって、問屋を開くことができませんでした。

甚兵衛は、それ以後も「上総海苔」の発展に尽くして79歳で亡くなりましたが、やがて1940年には産額で東京府(今の東京都)を抜いて全国1位に達し、1965年代後半になって東京や神奈川、千葉北西部などの東京湾内で海苔養殖が消滅すると、東京湾産の海苔として「江戸前」の名を受け継ぎ、「江戸前海苔」とも呼ばれるようになりました。


「9月11日にあった主なできごと」

1900年 初の公衆電話設置…それまでは電話局にのみおかれた公衆電話が、この日東京の新橋駅と上野駅の通路に設置されました。当時は交換手を呼びだしてからお金を払って、相手を呼びだしてもらうしくみでした。

1947年 教科書の検定制度…1886年の「小学校法令」で国定教科書(政府が定めた教科書)が使用されてきましたが、この日教科書検定制度を発表、文部省が認めたものだけを教科書に採用することになりました。この検定制度は憲法違反に当たると、家永三郎は国を相手に裁判をおこしましたが、32年間にもわたる審議の結果、1997年に敗訴が確定しました。

1971年 フルシチョフ死去…スターリンの死後ソ連の最高指導者となり、スターリン批判によって、その独裁と恐怖政治を世界に暴露して世界に衝撃を与えたフルシチョフが亡くなりました。

2001年 同時多発テロ事件…アメリカでハイジャックされた旅客機3機が、ニューヨークの世界貿易センタービル(ツインビルに各1機)とワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突入、数千人の死者を出す大惨事となりました。ブッシュアメリカ大統領は、この犯人をウサマ・ビンラディンを首謀者とするイスラムのテロ組織アルカイダと断定し、潜伏するアフガニスタン政府に引渡しを要求。しかし、彼らを保護するタリバン側が拒否したことから、アメリカはアフガニスタンを攻撃しました。
投稿日:2015年09月11日(金) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)