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「清王朝」 の基礎を築いたヌルハチ

今日9月30日は、中国清朝の前身となる「後金」を創始し、清の初代皇帝とされるヌルハチ(太祖)が、1626年に亡くなった日です。

1559年、ヌルハチは今の中国東北部に住んでいたツングース系の種族「女真族」の一派である建州女直の一首長の子として生まれました。生まれたころの「女真族」は、建州女直、海西女直、野人女直の3つに分かれて、激しく主導権争いをしていました。

ヌルハチの幼少年期に関しては不明ですが、18歳の時に他家へ婿入りし、1583年25歳の時、祖父と父が民朝軍に殺されたのを期に独立すると、実家の再興をはかりました。ヌルハチはまず祖父と父を死に追いやった同族のニカンワイランを討つと、民に恭順の態度を示しながら、数年のうちに建州女真族をほぼ平定し、1587年に蘇子河畔に最初の居城としてフェアラ城を築きました。

1591年ころには、ヌルハチの支配権は撫順以東、鴨緑江南側にまで拡がり、ヌルハチの台頭を恐れた女真族のハダ、ホイファ、ウラをはじめ蒙古を含めた九諸国連合軍3万が1593年に来襲すると、ヌルハチは海西女直と協力してこの侵攻を撃退し、民から「龍虎将軍」を与えられました。いっぽうヌルハチは、独自の満州文字を考案し、軍隊組織で社会組織を兼ねた「八旗制度」を定めました。これは旗の色を黄・白・紅・藍の4色とし、それぞれの色にふちのない旗とある旗の8種類に分け、1旗の兵数を7500人としたものです。

1603年に居城をヘトハラ(興京老城)に移し、1613年までに撫順以西のハダ、ホイファ、ウラの女真族を平定すると、1616年に後金国を打ち立ててハン(汗)の位につきました。これに危機をおぼえた民朝は、ヌルハチ討伐を決意し、1618年七大恨を宣言すると、翌1619年に10万の大軍を出してヌルハチ征討に向かいましたが、明・清交替の関ヶ原といわれる「サルフの戦」に大敗を喫しました。

こうしてヌルハチは、1621年には遼東平野に進出して瀋陽、遼陽を落として遼河以東の地をかため、国都を遼陽、ついで瀋陽に移しました。いっぽう明側も、寧遠城防守によって勢力の回復を計ったため、ヌルハチもそれ以上は進めませんでした。1626年ヌルハチは、なんとか寧遠城を包囲したものの、明のポルトガル砲によって重傷を負い、まもなく病死しました。

なお、国号「後金」を「清」と改称したのは、1636年にヌルハチの子の第2代ホンタイジ(太宗)時代のことで、その後清は1912年まで、中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝となりました。


「9月30日にあった主なできごと」

1472年 王陽明誕生…中国が明とよばれていたころ、儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家の王陽明が生まれました。

1913年 ディーゼル死去…空気を強く圧縮すると高い温度になります。この原理を応用して、空気を圧縮した筒のなかに液体の燃料を噴射して自然発火させ、爆発力でピストンを動かすエンジンを発明したディーゼルが亡くなりました。

1999年 東海村で臨界事故…茨城県東海村の核燃料施設で臨界事故が発生、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症となったほか、667名の被曝者を出しました。
投稿日:2015年09月30日(水) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)