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「ムガル帝国」 とアクバル大帝

今日10月13日は、ムガル帝国第3代の王で、今のインドの地に、帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させたアクバルが、1605年に亡くなった日です。

「ムガル」は「モンゴル」の意で、モンゴル系のバーブルが、モンゴル帝国再興を期してトルコ人を率いて北インドに侵入、1526年デリーを占領して「ムガル帝国」を興しました。

1542年、ムガル帝国第2代王フマユーンの子(バーブルの孫)として生まれたアクバルでしたが、父王がアフガン系のシェール・シャーの攻撃を受け、ペルシャ(現イラン)に亡命しているときの誕生でした。1555年に父王はデリーを奪回しましたが、翌年急死したため、アクバルは13歳にして即位します。

即位後の数年は、父王の遺臣や乳母に握られていた政治も、1560年ころから自ら行うようになると、インド西部を支配していたヒンズー教徒であるラージプート諸王家から妃を迎えるなど融和策をとりました。その勢力を味方につけると、従わない部族は武力で征服して、1570年までに北インド一帯を平定します。さらにデカン高原、アフガニスタン、中央アジアにも進出し、デカン高原以南の一部 (ポルトガルが支配するゴア、カリカットなど) を除くインド全域を1576年までに支配下におきました。

アクバルはイスラームでしたが、他の宗教にも寛大で、1565年に非イスラームに課するシズヤという「人頭税」を廃止し、宮廷でヒンズー教、キリスト教、ゾロアスター教などの代表者を集めて、それぞれの教義に関する討論をおこなったりしました。政治にも新しいしくみをこしらえ、広大な領土は、王の領地と家臣の領地に分け、家臣の領地の勢力が大きくならないよう、しばしば配地を変えさせて、中央集権がくずれない工夫をこらしました。国内の耕地を測量して農地の等級を定め地租を現金でおさめさせ、この制度が行われない地区では収穫の数%を現物で収めさせました。

首都をデリーから、南東のアグラに移して城塞を建設したり、アラビア語やポルトガルの書物をペルシャ語に翻訳させるなど文化の発達にもつとめ、インド古来の文化と融合して独自のインド・イスラーム文化を発達させ、ムガル帝国繁栄の基礎を確立しました。

なお、アクバルはアラビア語で「偉大」を意味する名で、その偉業により「大帝」と讃えられています。ムガル帝国はその後、第6代のアウラングゼーブまでが全盛期で、第5代のシャー・ジャハーンは、亡き愛妃のためにアグラ郊外に建てた「タージマハル」は、この時代の代表的イスラーム建築として世界的に有名です。やがて、アウラングゼーブがヒンズー教徒に圧迫を加え、シズヤを復活させたりヒンズー寺院を破壊したりしたのがきっかけになって国は衰えはじめ、18世紀からはイギリスの植民地化が進み、1858年に皇帝がイギリス軍に捕えられてビルマ送りとなり、滅亡したのでした。



「10月13日にあった主なできごと」

1282年 日蓮死去…鎌倉時代中期の僧侶で、法華経に基づく教えこそが唯一の仏教の真髄と説く日蓮宗(法華宗)を開いた日蓮が亡くなりました。

1884年 世界標準時…アメリカのワシントンで「本初子午線ならびに計時法万国公会」が開かれ、イギリスのグリニッジを通る子午線を、経度0度とする世界標準時と決めました。日本では1886年から使われるようになり、日本の標準時は、世界標準時より9時間進んでいます。

1903年 小林多喜二誕生…『蟹工船』などを著し、日本プロレタリア文学の代表作家といわれる小林多喜二が生まれました。
投稿日:2015年10月13日(火) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)