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「南北朝合一」 と後小松天皇

今日10月20日は、室町時代北朝最後(6代)の天皇で、歴代第100代目の後小松天皇(ごこまつてんのう)が、1433年に亡くなった日です。

1377年、北朝第5代の後円融天皇の第1皇子して生まれた後小松ですが、室町幕府は3代将軍足利義満の全盛期のころで、公家の権力は幕府に押さえられ、京都の支配権さえも幕府の手中にありました。そのため、後小松は義満の親戚筋の日野家に養育されました。1382年12月に、父の後円融天皇の譲位を受けて6歳で後小松天皇として即位した式では、義満が幼い天皇を補佐したことで、「稀代なこと」とまでいわれます。

後円融上皇による院政が行われましたが、朝廷内部にまで政治的影響力を及ぼし多くの公家を主従関係の下に置いた義満は、1392年に南朝の後亀山天皇との間に和議を成立させ、三種の神器をうけて南北朝合一に成功しました。さらに義満は、次男の義嗣を親王とし、ひそかに皇位奪還をうかがっていました。そして、翌1393年に後円融上皇が亡くなると、義満は事実上の上皇として、後世「義満の院政」などと呼ばれる権力を振るい、後小松天皇は名ばかりのものでしかありませんでした。

ところが、1408年未に義満が急死したため、皇家は空前の危機を切り抜けます。あとを継いだ第4代将軍足利義持は、義満の政策をことごとくくつがえしたため天皇は権威を回復し、後小松天皇は、1412年8月に皇子の実仁(みひと)親王を称光天皇として譲位し、院政を開始しました。これは北朝の持明院統(後深草天皇の血統)と南朝の大覚寺統(亀山天皇の血統)との二つの皇統から交互に皇位に就くという南北朝合一の際の条件「両統迭立(てつりつ)」に反するもので、その後南朝勢力はしばしば反発して武装蜂起しました。しかし、これをなんとかはねつけ、1428年称光天皇の病死後、6代将軍足利義教の仲介で伏見宮貞成の子息彦仁を養子とし、後花園天皇として即位させ、称光・後花園の2代という長期にわたって院政を行いました。

なお、名高い禅僧の一休宗純は、後小松天皇の長男といわれています。


「10月20日にあった主なできごと」

1180年 富士川の合戦…源頼朝率いる源氏と平氏軍が駿河の富士川で合戦を行いました。この戦いで、平氏軍は水鳥が飛びったった水音を夜襲と勘違いして敗走しました。

1856年 二宮尊徳死去…幼い頃に両親を失いながらも刻苦して小田原藩士となり、各地の農村の復興や改革につくした江戸後期の農政家の二宮尊徳が亡くなりました。

1879年 河上肇誕生…『貧乏物語』『資本論入門』『自叙伝』などの著作で知られ、日本におけるマルクス主義の考えを推し進めた経済学者の河上肇が生まれました。

1967年 吉田茂死去…太平洋戦争敗戦の翌年に首相に就任、以来5回にわたって首相をつとめ、親米政策を推進して日米講和条約、日米安保条約を締結した吉田茂が亡くなりました。
投稿日:2015年10月20日(火) 05:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)