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『西洋紀聞』 を生んだシドッチ

今日10月21日は、江戸時代中期にキリシタン禁制下の日本に潜入し「最後の宣教師」として知られるシドッチが、1714年に亡くなった日です。

1668年、イタリアのシチリア島に生まれたジョバンニ・シドッチは、カトリックの一派イエズス会(ロヨラがザビエルら6人の同志と創設)に入って司祭として活動しているうち、宣教師の報告が伝わっていた日本への渡航を決意しました。ローマ教皇クレメンス11世に願い出て、1703年に中国へ渡り、フィリピンのマニラへ移って4年間布教につとめながらチャンスをねらっていました。

マニラでの功績を認められ、布教に欠かせない日本語もイエズス会が16世紀に発行した本で学ぶと、シドッチのために建造された船に乗って1708年8月、日本に向けて出発しました。2か月後に和服に大小二本差しという日本の武士の姿に変装して屋久島に上陸しました。ところが、島民に怪しまれ、薩摩(鹿児島)藩に通報されて長崎へ、さらに翌1709年秋に江戸へ送られ、小石川のキリシタン屋敷に監禁されました。

シドッチは、時の幕政の指導者で儒学者の新井白石から、直接取り調べを受け、白石はシドッチの人格と学識に深い感銘を受け、敬意を持って接しました。シドッチもまた白石の学識を理解して信頼し、二人は多くの学問的対話を行いました。この対話の中で得られた世界の地理、歴史、風俗やキリスト教のありさまなどは、白石によって世界地理の書『采覧異言』(1713年に発表され、筆写により普及)と『西洋紀聞』(取調べのようす・世界地理・キリスト教の3部からなり、1715年に記すものの、鎖国中だったため刊行は1882年)を書いています。これらは、鎖国時代に、外国の事情を伝える貴重な資料となりました。シドッチにとっても、日本にキリスト教を布教するという本来の目的は果たすことはできなかったものの、鎖国下の日本に国際世界についての視野を開かせる一つの契機となりました。

やがて幕府は、シドッチをキリシタン屋敷へ、宣教をしてはならないという条件で幽閉することに決定し、シドッチは囚人的な扱いを受けることもなく、二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁されました。ところが、シドッチの監視役で世話係だった長助・はるという老夫婦が、木の十字架をつけているのが発見され、二人はシドッチに感化され、シドッチより洗礼を受けたと告白したことから、シドッチと共に、屋敷内の地下牢に移されました。その後のシドッチは、きびしい取扱いを受け、10か月後に衰弱死したのでした。

なお、シドッチの所持品だったカルロ・ドルチ作「悲しみの聖母」(楕円形絵画)は、東京国立博物館所蔵として重要文化財に指定されています。


「10月21日にあった主なできごと」

1520年 マゼラン海峡発見…スペイン王の協力を得て、西回りで東洋への航路をめざしたポルトガルの探検家マゼランは、出発からすでに1年が経過していました。そしてこの日、南アメリカ大陸の南端に海峡(マゼラン海峡)を発見、7日後の28日に南太平洋に到達しました。マゼランは、翌年3月にフィリピンで原住民の襲撃にあって死亡。9月に乗組員が世界一周を終えてスペインに到着したときは、5隻の船は1隻に、256名の乗組員はわずか18名になっていました。

1684年 徳川吉宗誕生…江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した徳川吉宗が生まれました。

1805年 トラファルガーの海戦…スペインのトラファルガー岬の沖で、ネルソン率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊に勝利しました。しかし、旗艦ビクトリア号で指揮していたネルソンは、狙撃されて死亡しました。

1871年 志賀直哉死去…長編小説「暗夜行路」などを著し、武者小路実篤とともに「白樺派」を代表する作家の志賀直哉が亡くなりました。
投稿日:2015年10月21日(水) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)