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「日韓基本条約」 を締結した朴正煕

今日10月26日は、軍事クーデターに成功し、韓国大統領を5期18年にわたって独裁政治を行った朴正煕(パク・チョンヒ/ぼく・せいき)が、1979年に亡くなった日です。

1917年、日韓併合後の慶尚北道(朝鮮半島東南部)の貧しい農家に生まれた朴正煕(日本名・高木正雄)は、1937年に大邱(たいきゅう)師範学校を卒業後、1940年まで小学校の教師を務めていましたが、軍人を志して満州国の士官学校へ入隊しました。成績優秀だったために日本帝国陸軍士官学校への留学生となり、第57期生として日本式の士官教育を受け、満州軍第8師団参謀(陸軍中尉)としてソ連軍との戦闘に加わりました。

終戦後は、新生した韓国軍に入り、陸軍の情報・作戦を担当、朝鮮戦争終結時には陸軍大佐にまで昇進しました。1959年には陸軍少将・第2軍副司令官の重職に就きましたが、当時の韓国は、議会の混乱によって一向に復興や工業化が進まず、また軍内の腐敗も深刻化していました。そこで朴は、1961年5月16日、軍の将官・将校・士官らの改革派を率いてクーデター(五・一六軍事クーデター)を決行し、軍事政権(国家再建最高会議)を成立させると、最高指導権を握りました。

1963年、民政にもどすための選挙では、自身の政党である民主共和党から立候補して第5代韓国大統領に就任しました。以後1979年、側近の金載圭情報長官によって暗殺されるまで、6代から9代までの韓国大統領を5期18年にわたって務め、権威主義体制による独裁政治を推進しました。

その間、1964年にアメリカ合衆国のジョンソン大統領の要請を受けてベトナム戦争に韓国軍を出兵、1975年6月、日本の佐藤栄作首相と「日韓基本条約」を締結して日韓両国の国交を正常化しました。また、日米両国の経済支援を得て、重化学工業の建設に力を注ぎ、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成、1970年頃まで経済的に劣位であった北朝鮮を経済的に追い越し、最貧国グループから脱することに成功しました。

いっぽう、民主化などの運動を徹底して弾圧し、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄などを行ない、政権後半には単独での核武装などの自主国防路線や、日本に滞在していた民主化活動家の金大中を諜報機関(KCIA)により拉致(金大中事件)して国家主権を侵害するなど強硬な政策を進めました。

なお、第18代大韓民国大統領に就任した朴槿恵(パク・クネ)は、朴正煕の次女です。


「10月26日にあった主なできごと」

1909年 伊藤博文死去…尊王攘夷運動をへて維新後明治政府に入り、初代総理大臣として明治憲法の制定に努めた伊藤博文が、日韓併合の一歩をふみだすなか、朝鮮の独立をめざす安重根に暗殺されました。

1963年 日本初の原子力発電…茨城県東海村の日本原子力研究所が日本で初めて原子力発電を行ないました。これを記念して政府は、1964年から10月26日を「原子力の日」と制定しました。
投稿日:2015年10月26日(月) 06:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)