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「アルセーヌ・ルパン」 のルブラン

今日11月6日は、フランスの探偵小説家で、怪盗紳士ルパンを生みだし、フランス小説史上最大のキャラクターに成長させたルブランが、1941年に亡くなった日です。

1864年、ノルマンディー地方のルーアンに生まれたモーリス・ルブランは、幼いころからバルザック、ユゴー、デュマ、ベルヌらの作品を愛読し、地元の高等中学を優秀な成績で卒業しました。卒業後は1年半にわたり、イギリスのマンチェスターやドイツのベルリンなどヨーロッパ漫遊旅行をするうち、同郷の作家フロベールやモーパッサンを深く敬愛するようになって、作家を志すようになりました。

1888年、パリに出たルブランは、「フィガロ紙」などの新聞社に通って、記事や小説などを投稿しはじめ、1891年に心理小説を扱った短編集 『夫婦たち』を処女出版すると、一部の評論家に認められ、1893年に長編小説 『ある女』を発表すると、ルナールやブロワ、ドーデらから高い評価を得て、文壇で注目されるようになりました。1899年に「文芸家協会」への入会を認められ、長編の恋愛小説 『熱狂』(1901年)、長編小説『澄みきった瞳』(1902年)などを発表しました。しかし、その心理分析は高く評価されるもののヒットするには至らず、うだつの上がらない貧乏作家生活が長く続きました。

1905年ルブランは、友人の編集者ラフィットに、冒険推理小説の執筆を依頼されました。通俗小説に気が進まないながらも、金銭的に困窮していたため、当時ヒットしていたイギリスの「シャーロック・ホームズ」に対抗し、当時のパリ市会議員アルセーヌ・ロパンの名をもじって、軽妙で魅惑的な怪盗紳士アルセーヌ・ルパンを創造、短編『アルセーヌ・ルパンの逮捕』を雑誌に掲載しました。

1回限りの予定でしたが、翌年に全力を投入した戯曲『憐れみ』が不発となり、ルパンしかないと悟ったルブランは、1907年6月に長編小説『怪盗紳士アルセーヌ・ルパン』を発表すると、大評判となり、その年の夏だけで20刷を数える大ヒットを記録しました。

以後のルブランは、次々とルパンものを書き続け、結果的にその後の作家人生のほとんどを56編にものぼるルパンシリーズへ注ぎこみました。こうしてルブランに、世界的ベストセラー作家としての名声と経済的成功をもたらしました。

特に、殺人現場に残されたレッテルをめぐる事件でルパンを自殺させた『813』、ルパンを復活させた『アルセーヌ・ルパンの帰還』、ライバル探偵ショルメと闘う『奇岩城』、フランス政界をふるえあがらせた疑獄事件を描く『水晶の栓』、8つの冒険に挑戦する『八点鐘』はよく知られています。1921年には、長年にわたる文学への貢献を評価されてレジオン・ドヌール勲章を授与されました。


「11月6日にあった主なできごと」

1494年 スレイマン誕生…オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが生まれました。

1945年 財閥解体…太平洋戦争敗戦後の日本を占領し、間接統治を行なっていたGHQ(連合国軍司令本部)は、三井、三菱、住友、安田など15財閥83社の解体を指令しました。これらの財閥が、日本経済をささえ戦争をすすめる原動力になっていたと判断したためです。しかし、財閥は解体されたものの財閥の流れをくむ企業の大半は、大規模な企業グループを形成していきました。

1956年 スエズ戦争停戦…スエズ運河の国有化宣言をしたエジプトに対し、イギリスとフランスが反対を決議。さらにエジプトと対立関係にあったイスラエル軍がエジプトに侵入したのをキッカケに、英仏軍も武力攻撃を開始してスエズ戦争(第2次中東戦争・スエズ動乱)が始まりました。エジプトの抵抗、アラブ諸国のエジプト支持、国際連合の批判などにより、この日英仏は軍隊を引き上げることに同意しました。
投稿日:2015年11月06日(金) 05:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)