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「堺流茶道」 を確立させた武野紹鴎

今日10月29日は、「わび茶」を創始した村田珠光の精神を学び、堺流「小座敷の茶」を創案、千利休らに引き継いだ戦国時代の豪商で茶人の武野紹鴎(たけの じょうおう)が、1555年に亡くなった日です。

武野紹鴎の父信久は、その父が応仁の乱で戦死し、孤児となったのち諸国を流浪し、経済都市泉州堺(大阪府堺市)に住みついて武具用の皮革業を営み、一代で財をなした人物でした。

1502年、信久の子として生まれた紹鴎(通称・新五郎)は、若い頃から学問を好みました。24歳の時、当代随一の文化人三条西実隆に師事して古典文学や和歌を学び、稽古と創意工夫の大切さを教えられました。いっぽう、大徳寺の禅を堺に広めようと草庵を開いた高僧古岳に禅の修行を受け、27歳のときには、連歌師を志しました。また、29歳の時には、信久が朝廷に献金を行い、紹鴎は因幡守の官位に任ぜら、軍人としての態勢もとりつけました。当時本願寺が堺の豊かな財力に目をつけて近づき、紹鴎は信仰と軍事の面で深い関係を持ちます。

やがて31歳の時、古岳のもとで剃髪して出家して「紹鴎」を名のり、世俗の外で生きる決断をしました。そして、京都へおもむき、「わび茶」の創始者といわれる村田珠光の弟子宗陳や宗悟に「茶の湯」を学びました。当時流行していたのは、中国の書画を壁に掛け、陶磁器や工芸品を飾った四畳半の部屋で茶をたてる「書院茶」でしたが、紹鴎は、より小さい三畳半や二畳半の茶室を考案しました。無心になって茶をたてることで、世の戦乱や争いごとを忘れ、深く澄みきった心になろうとしたのでしょう。そのため、茶室はできるだけ簡素にし、作法も自然なものがよいと考えました。

35歳のとき、父信久を、翌年師の実隆を失って堺にもどった紹鴎は、ひたすら茶の湯の研鑚につとめると、2年後に、田中与四郎(のちの千利休)の入門を受け、さらに津田宗及、今井宗久ら多くの門弟を育てました。とくに彼ら3人は、豊臣秀吉の「茶の湯政治」を支えたことは、よく知られています。


「10月29日にあった主なできごと」

1815年 井伊直弼誕生…江戸時代末期に大老となり、開国論を唱え「安政の大獄」を引き起こして尊攘派を弾圧、1860年の「桜田門外の変」で水戸浪士らに殺害された井伊直弼が生まれました。

1922年 トルコ共和国宣言…オスマン帝国を倒したトルコは、この日共和国の成立を宣言。初代大統領にムスターファ・ケマルを選びました。アタチュルク(トルコの父)として、現在に至るまで、トルコ国民に深い敬愛を受けつづけています。

1929年 悲劇の火曜日…1920年代、永遠に続くと思われていたアメリカの繁栄に大ブレーキがかかりました。5日前(暗黒の木曜日)に1日1300万株が売られる株の大暴落がおきたため、ウォール街は、不安にかられた投機家でごったがえし、大損して自殺する人まであらわれました。さらにこの日は前回を上回る1630万株が売られ、ウォール街最悪の日となって、午後には株式取引所の大扉を閉じました。株はその後も売られ続け、世界中をまきこむ大恐慌となっていきました。

1945年 宝くじ発売…政府は戦後復興の資金集めのために、第1回宝くじの販売を開始しました。1枚10円、1等賞が10万円で副賞に木綿の布が2反、はずれ券4枚でたばこ10本がもらえました。評判が良かったために、翌年には1等賞金が100万円となりました。戦後数年間の宝くじには、敗戦後の物資不足を反映して、革靴、地下足袋、人口甘味料のズルチンといった景品がつき、1948年の1等副賞には木造住宅がつきました。
投稿日:2015年10月29日(木) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)