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「薩長同盟の立役者」 中岡慎太郎

今日11月17日は、幕末期に、同郷土佐の坂本龍馬とともに、「薩長同盟」「薩土盟約」の締結に成功するものの、大政奉還の1か月後、龍馬とともに斬られた中岡慎太郎(なかおか しんたろう)が、1867年に亡くなった日です。

1838年、今の高知県北川村に大庄屋(おおじょうや=村役人)の長男として生まれた中岡慎太郎(本名・道正 通称・福太郎)は、1854年に間崎滄浪に学問を学び、翌年には武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術の指南を受け、1857年より大庄屋見習として村政にかかわりました。1861年に武市が土佐勤皇党を結成するとこれに加わり、武市の正系を継承すると評価されるものの、勤王党弾圧後は同志50人とともに京都、江戸に出て尊攘運動に参加、本格的に志士活動を展開し始めました。

1862年、長州藩の久坂玄瑞らとともに、佐久間象山を訪ね、国防・政治改革について学び、翌1863年の「八月十八日の政変」後に土佐藩内に尊王攘夷活動に対する大弾圧が始まると、脱藩して長州藩へ赴き、以後長州藩をバックに活動、周防国三田尻に都落ちしていた公卿三条実美ら5名の衛士となるなど、各地の志士たちとの重要な連絡役となりました。

1864年の「蛤御門の変」(京都守護職松平容保らの排除をめざして挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件で、「禁門の変」ともいう)では忠勇隊とともに戦い、負傷して長州へ退き、同年の英・米・仏・蘭四国連合による下関砲撃事件(馬関戦争)にも出陣しました。

1965年1月、三条実美らが大宰府(今の福岡県太宰府市)に移ると、これにしたがいながらここを拠点に、活動方針を尊皇攘夷論から雄藩連合による武力倒幕に変え、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩藩の西郷隆盛との会合による薩長同盟締結をめざして活動をはじめます。やがて三条実美と連絡を取りながら脱藩志士たちのまとめ役として、薩摩と長州の志士たちの間を飛びまわり、亀山社中(後の海援隊)を結成した坂本龍馬とともに、三条の随臣土方久元も巻きこんで、1866年1月、京都の薩摩藩邸において「薩長同盟」を結実させました。

翌1867年3月、土佐藩から龍馬とともに脱藩をゆるされると、薩土同盟についても同様に奔走し、6月に京都「吉田屋」において、中岡と龍馬が仲介となって、土佐藩の寺村道成・後藤象二郎・福岡孝弟、薩摩藩の小松帯刀・大久保利通・西郷隆盛との間で、倒幕・王政復古実現のための「薩土盟約」を締結させました。そして、土佐藩の遊軍として龍馬は海援隊を、中岡は在京の浪士を集めて7月に陸援隊を組織し、武力討幕の一翼としました。

ところが、幕府大政奉還後の同年11月15日夜、京都河原町の下宿近江屋に龍馬を訪れて会談中、幕府見廻組に襲われてともに斬られ、龍馬は即死、中岡は2日後に絶命しました。


「11月17日にあった主なできごと」

1869年 スエズ運河開通…フランスの建設者レセップスは、さまざまな苦難の末に、地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を10年がかりで建設し、開通させました。政治的・軍事的重要性のために各国の争奪戦となり、当初フランスが中心だった同運河は、1875年からイギリスが支配し、1956年にエジプトが国有化しました。

1922年 アインシュタイン来日…相対性理論で名高いドイツの物理学者アインシュタインが来日し、約1か月間の滞在中、東京、大阪、仙台、福岡などで講演を行いました。ノーベル賞を受賞したばかりの時で、会場はどこも学者や学生を中心に満席だったと伝えられています。
投稿日:2015年11月17日(火) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)