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『縮図』 の徳田秋声

今日11月18日は、田山花袋、島崎藤村とともに日本の自然主義文学における代表的作家といわれ、庶民的な女性の半生を浮き彫りにした作品を多く描いた作家の徳田秋声(とくだ しゅうせい)が、1943年に亡くなった日です。

1872年、石川県金沢市に没落士族の末子として生まれた徳田秋声(本名・末雄)は、幼時から病弱で小学校入学も1年遅れました。1886年石川県専門学校に入学、1888年に学制改革により同校が第四高等中学となって合格しましたが、父の病没により1891年に退学せざるをえませんでした。1892年、小学時代の同級生で共に文学を志す桐生悠々とともに上京、尾崎紅葉の門をたたくものの断られ、兄を頼って大阪へ行き、「大阪新報」などに作品を発表しました。

やがて帰郷後、1895年に再上京して、博文館編集部に職を得ました。当時博文館に出入りしていた同郷の作家泉鏡花と親しくなり、鏡花の誘いで紅葉門下となりました。1896年「文芸倶楽部」に『藪かうじ』を発表して注目されて作家生活に入りましたが、文壇的には地味な存在で、同門の鏡花や小栗風葉ほどの人気にはなりませんでした。

1903年の紅葉の死から日露戦争にかけて、実際の生活をありのままに描くという「自然主義文学」が台頭しだすと、秋声は自分の周辺を題材に、庶民的な女性の半生を浮き彫りにした作品を次々に発表しだしました。そして、1911年の長編小説『黴(かび)』の成功は、秋声の名を決定的なものにしました。田山花袋から平面描写の極致を示すものとして激賞されると、2〜3年前に新聞連載して好評だった『新世帯(あらじょたい)』や『足迹(あしあと)』の再評価につながり、その後つぎつぎに発表した『爛(ただれ)』『あらくれ』『仮装人物』などにより、秋声は、田山花袋、島崎藤村とともに日本の自然主義文学における代表的3大作家として、文学史に名をとどめるほどになりました。

秋声の作品で、最も有名な代表作は長編小説『縮図』でしょう。秋声の晩年の1941年に『都新聞』に連載された作品で、東京白山で置屋を営む元芸者の小林政子をモデルに、芸妓の世界を描いた作品だったため、情報局から太平洋戦争直前の時局柄好ましくないという干渉をうけ、第80回で連載を中断、秋声の死去により未完に終わりました。銀子という芸者上がりの女性と同棲している主人公均平の語る銀子の半生記は、戦時下に生きる庶民的反骨がえがかれ、日本の自然主義文学はこの作品で完成したといわれています。同作を原作に、1953年新藤兼人は劇映画を制作して評判になりました。

私生活では、その分け隔てのない人柄が多くの文壇人に愛され、映画やダンスを好むなど現代的な面も持ちあわせていたようで、金沢市には「徳田秋声記念館」が開設されています。また、オンライン図書館「青空文庫」では、『縮図』を読むことができます。


「11月18日にあった主なできごと」

1901年 八幡製鉄所操業…福岡県北九州市に建設された八幡製鉄所が操業を開始しました。近代化を推進していた明治政府が、殖産振興・富国強兵をもとにしたわが国初の本格的な製鉄所で、日露戦争、第1次世界大戦での鉄鋼需要の増加で、急速に発展しました。

1903年 パナマ運河条約…太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河は、スエズ運河をひらいたレセップスが開発に着手しましたが、難工事のため断念。アメリカ合衆国はパナマとの間でパナマ運河条約を結び、10年以上もかけて建設を進めて、1914年に開通させました。そのため長いあいだアメリカによる支配が続いてきましたが、1999年末、パナマに完全返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。

1904年 古賀政男誕生…『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など、日本人の心にふれるメロディで、今も口ずさまれているたくさんの歌謡曲を作った作曲家の古賀政男が生まれました。
投稿日:2015年11月18日(水) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)