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最新記事【2015年11月20日】

今日11月20日は、評論家・翻訳家・劇作家・演出家として多くの業績を残した福田恒存(ふくだ つねあり/こうそん)が、1994年に亡くなった日です。

1912年、今の東京都文京区に生まれた福田恆存は、旧浦和高校を経て東京帝国大学英文科に入学すると、演劇に興味を持ち、「演劇評論」の同人となりました。1936年に卒業後、中学教師、出版社勤務、団体職員などを務めるかたわら、1937年雑誌「行動文学」に関わり、文芸評論を開始しました。敗戦後の1947年には、日本近代文学への批判をこめた評論集『作家の態度』『近代の宿命』を著すいっぽう、雑誌「思索」に政治と文学を厳しく分けるべきだという評論「一匹と九十九匹と」を発表、「政治と文学」論争に一石を投じます。

福田恆存の名を有名にしたのは、左翼思想や進歩派全盛のなかで、進歩的文化人への批判を加え、論争を展開したことからでしょう。1954年に「中央公論」に発表した「平和論の進め方についての疑問」で、進歩派の平和論を批判し、1955年から翌年にかけて金田一京助らと戦後の国語国字改革論争をおこし、その集大成として1960年に『私の国語教室』を刊行、「現代かなづかい」や「当用漢字」の不合理を指摘、歴史的仮名遣いのすすめを説いて、読売文学賞を受賞しています。

その後も、厳しく文化人を批判することから、保守的と非難されることが多かった福田でしたが、歴史や現実を無視した見方を認めないという考えが基礎にあるもので、評論の代表作として、上記のほかに『芸術とはなにか』『人間・この劇的なるもの』があります。

演出家としては、1952年に文学座に入って『ハムレット』、自作の『龍を撫でた男』などの演出を担当するものの、文学座の看板女優・杉村春子との意見の相違から、1956年に退団。1963年に、芥川比呂志、仲谷昇、岸田今日子、神山繁ら文学座脱退組29名と財団法人現代演劇協会を設立し、理事長に就任しました。やがて芥川と対立すると、協会内で新たに「劇団欅」を設立し、1975年に芥川らが退団した「劇団雲」の残留組と「劇団欅」を統合し、「劇団昴」を結成しました。

翻訳家としては、シェイクスピアの「四大悲劇」ほか主要戯曲15作品、ヘミングウェイ『老人と海』、ワイルド『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』などの翻訳があり、劇作家としては、衰弱した現代人への風刺喜劇『キティ颱風』『竜を撫でた男』、詩劇『明暗』、歴史劇『明智光秀』『有馬皇子』他の戯曲を発表・上演した以外に、戯曲『解ってたまるか!』『総統いまだ死せず』などがあります。また、東京・駒込に三百人劇場を建設したことでも知られ、『シェイクスピア全集』の訳業により岸田演劇賞、1980年には多年の評論活動により菊池寛賞・芸術院賞を受賞しています。


「11月20日にあった主なできごと」

1179年  後白河法皇を幽閉… 平清盛は、院政を行なっていた後白河法皇をこの日、鳥羽殿に幽閉。まもなく孫を安徳天皇にして、平氏の独裁体制を築いていきました。

1910年 トルストイ死去…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが亡くなりました。平和主義者としても知られ、『イワンの馬鹿』ほか民話の再話も有名です。

1945年 ニュールンベルク裁判開始…第2次世界大戦の戦犯を裁く国際軍事裁判が、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連から選ばれた裁判官のもとに、ドイツのニュールンベルクで始まりました。この裁判で史上初めて「戦争犯罪」という考え方が明確に打ちだされました。

2001年 イチロー大リーグMVP獲得…アメリカの大リーグマリナーズに移籍1年目のイチロー外野手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれました。あわせて、新人王、盗塁王、アメリカンリーグ首位打者、ゴールドグラブ賞にも輝く活躍でした。
投稿日:2015年11月20日(金) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)