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新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。

私は、2014年に大きな決断をしました。31歳のときに創業した「いずみ書房」が40周年を迎えた年でもあり、会社の経営を名実ともに長男と次男の二人に譲り、「会長」の名だけを残すものの非常勤となって、自由な時間を増やしました。

そこでまず、まだ元気でいられるだろうこれからの10年を「日本再発見の10年」ととらえ、1年目の2014年は、飛騨高山・白川郷、小京都金沢5日間、瀬戸大橋を通って高松から船で「二十四の瞳」の小豆島、水戸偕楽園・筑波山梅林、善光寺・小布施再訪、寅さんの柴又帝釈天訪問、京都3日間の旅などをしました。いっぽう、阪急交通社が主催する「東海道五十三次 街道を行く」という日本橋〜京都三条大橋までの徒歩距離492kmを、29回に分けて歩くという企画に参加を決めました。

そして、昨年6月までに、第1回「日本橋〜品川宿」、第2回「品川宿〜川崎宿」、第3回「川崎宿〜神奈川宿」、第4回「神奈川宿〜戸塚宿」、第5回「戸塚宿〜藤沢宿」、第6回「藤沢宿〜平塚宿」、第7回「平塚宿〜二宮」、第8回「二宮〜小田原宿」、第9回「小田原宿〜畑宿」、第10回「畑宿〜箱根関所」、第11回「箱根関所〜三島塚原」、第12回「三島塚原〜三島宿〜沼津宿」、第13回「沼津宿〜田子の浦」まで、日帰り徒歩旅行(徒歩距離毎回10〜13キロ)を、無事に制覇してきました。

しかし、この「東海道徒歩旅行」を中止する決断をしました。その理由の一つが、昨年5月に甲州道中にある江戸から9番目の宿「小原宿本陣」(中央線「相模湖駅」徒歩18分) を訪ねたことがきっかけでした。 「本陣」とは、江戸時代、参勤交代のときに大名や側近が宿泊するための建物のことで、東海道の旅では、「ここに本陣がありました」とガイドされたり、本陣跡の碑がある程度で、1度も本物に出会うことはありませんでした。ところが、「小原宿本陣」は、江戸時代のまま、そっくり残されているのです。相模原市が大切に管理・保存してきたことで、神奈川県下に26軒あった本陣のうち、現存する唯一の貴重な建物なのだそうです。

しかも、入母屋造りの豪壮な建物の中の畳の上をくまなく歩くことができ、床の間付の殿様の部屋から、家来たちの部屋、いろり部屋、台所、はばかり(トイレ)、衣類、囲碁などの娯楽類などが残され、どんな過ごし方をしてきたかが容易に想像できるものの数々に、すっかり感銘してしまいました。常時担当者がおられ、当方の疑問に的確に応えてくれるのもうれしいものでした。

1か月に3〜4回、自宅と会社のある吉祥寺から、会社の山荘・倉庫のある八ヶ岳南麓(北杜市高根町)まで車で往復しているため、その中間に位置する相模湖周辺のこの地がすっかり気にいってしまいました。「小原宿本陣」のすぐ近くには「小原の郷」という「道の駅」があり、小原宿の歴史・生活に関する展示をはじめ、朝市では、地元でとれた季節の野菜や花、特産品のおやきなどを販売したりしています。本陣前の「夢屋」では、カレーライス、チャーハン、ラーメン、日本そば+コーヒー、生姜焼・焼肉・コロッケ定食などがワンコイン(500円)で食べられるため、よく利用するようになりました。

また、相模湖観光協会の発行する相模湖駅から相模湖公園までの徒歩10分圏内にある「駅からマップ(食べる)」というパンフレットには、11か所のお勧めの店・レストランが紹介されていて、そのほとんどを訪ねてみましたが、どこもレベル以上の味でした。さらに同観光協会は、周辺の手ごろなハイキングコースのパンフレットを用意していて「石老山コース」「嵐山コース」「内郷コース」「底沢・弁天橋コース」「小原宿を楽しむコースガイド」「小原郷の草花マップ」など、いかに相模原市が、相模湖地区の観光に力を入れているかがわかります。

昨年の後半は、いくつかのハイキングコースを歩いてみたり、8月1日の「第66回 さがみこ花火大会(湖上祭)」には、1坪ほどのシート席(4人席・2000円)を購入して友人を誘い、眼前というより、真上から火花が落ちてきそうな花火の迫力や美しさを堪能しました。また、11月3日の「第22回 小原宿本陣祭」には、江戸時代の参勤交代の再現風景を観賞し、出陣太鼓や鉄砲隊の演武、野外ミニライブも興味深いものでした。

そこで今年は、甲州道(江戸日本橋から信州下諏訪までの220km)47宿のうち、小原宿のように、江戸の面影の残る宿場を訪ねることを目標にかかげてみました。

なお、2005年6月からスタートしたこのブログも、11年目に入り、投稿数2405回となりました。これもひとえに、ご愛読くださる皆さまのおかげで、深く感謝を申し上げます。新年は、1月5日からスタートし、これまで通りウィークデイは毎日アップする予定です。引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
投稿日:2016年01月01日(金) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)