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「アメリカ人類学の父」 モーガン

今日12月17日は、『古代社会』を著して人間文化の進化・発展に関する普遍的法則理論を主張したアメリカの文化人類学者モーガンが、1881年に亡くなった日です。

1818年、ニューヨーク州オーロラに農場主の子として生まれたルイス・ヘンリー・モーガンは、少年時代から郷里の近くに住む原住民の暮らしぶりに興味をもちました。1840年ユニオンカレッジを卒業したのちに法律を学び、1844年冬からロチェスターで法律事務所を開きましたが、26歳のころから、本格的に民族学や人類学の研究をはじめました。

やがてモーガンは、イロコイ族の暮らしぶりに興味を持ち、原住民同士の争いをやめさせたりして彼らの信頼を得ると、イロコイ部族連合のなかのセネカ族といっしょに暮らすなど、さまざまなフィールドワークを行いました。それをまとめた『共同長屋の民─イロコイ部族連合』を1851年に出版すると、客観的な記述による民族誌として評価されました。

1850年代半ばまでのモーガンは、主に法律業務のかたわら鉄道事業や鉱山業に投資して、実業家として財をなしましたが、後半になると、人類学の学問的追究に専念する決意を固めました。こうして、4度にわたる西部への調査旅行、ミズーリ川をモンタナ西部までさかのぼるなど、さまざまな原住民を訪ね歩きながらフィールド調査を拡大していきました。いっぽう、民族学者、宣教師、商人、領事、入植者たちに質問状を送って、諸民族の親族名称体系についてのデータ収集をしていきました。

こうした努力の積み重ねの成果を、1871年に『人類の血縁と婚姻の諸体系』として著すと、その「親族名称体系」という、人類学の重要な分野を扱った最初のものとなり、モーガンの数々の業績の中でも、もっとも長く影響力を与えるものとなりました。

さらにその6年後の1877年、主著となる『古代社会』を刊行しました。この著書の中でモーガンは、人間の文化の発展を「野蛮」「未開」「文明」の3段階に分け、さらに「野蛮」と「未開」をそれぞれ前期・中期・後期に分けました。そして「野蛮」を前農耕段階、「未開」を土器づくりと農耕段階、「文明」は文字の発明とともに始まるとしました。また、国家・家族・財産などの概念の発展の道筋をたどり、「野蛮」「未開」「文明」の各段階と関連してとらえ、人間文化の進化は、本質的に最も原始的な段階から、「文明」段階に単線的に発展すると主張しました。

このモーガン学説は、アメリカで、ときおり人種差別を恒久普遍化するために使われたりしましたが、マルクスやエンゲルスは、自分たちの研究を補足してくれる重要なものととらえ、マルクス主義者たちの古典となっています。

その後一時、厳しい批判を受けたりしましたが、アメリカ社会人類学、とくに親族研究の先駆者として、今も高く評価されています。


「12月17日にあった主なできごと」

1772年 ベートーベン誕生…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたる作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家ベートーベンが生まれました。

1903年 世界初飛行…アメリカのライト兄弟は、動力をつけた飛行機で、人類ではじめて空を飛びました。
投稿日:2015年12月17日(木) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)