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「文楽人形遣い名人」 吉田栄三

今日12月9日は、弁慶などの荒物から、他に追随を許さない内面的な演技まで、4世吉田文五郎と共に、文楽人形の全盛期を創りあげた吉田栄三(よしだ えいざ) が、1945年に亡くなった日です。

1872年、今の大阪市南区に玩具の人形作りの子に生まれた吉田栄三(本名・柳本栄次郎)は、母方の叔母が女義太夫で、幼いころから義太夫節に親しみました。その叔母が人形遣いの吉田栄寿と結婚したことから、1883年にその紹介で人形遣いとなり、吉田光栄(みつえ)を名のって、日本橋の「沢の席」という小屋で初舞台を踏みました。

1884年に彦六座が開場するとすぐに入座するものの、その後は特に決まった師匠をもたず、稲荷座などにも出入りしながら、名人といわれる人たちからむさぼるように伝統的技術や型を学びました。その間、1892年に生涯の名跡「栄三」と改名しています。1898年に稲荷座がなくなると、御霊神社境内にあった御霊文楽座に移り、初世玉造と紋十郎から厳しく鍛えられ、2人の人形の手足を手伝いながら先人の型を自分のものにしていきました。

1907年に紋十郎の代役で、『和田合戦』の「市松初陣の段」での一場面が大好評となってこれが出世芸となり、やがて文楽座の花形となって活躍、1927年には長らく空席だった人形の座頭(ざがしら)になりました。初めのうちは女方をやっていましたが、座頭になってからは、女形は4世吉田文五郎に譲って、もっぱら立役に転じ、小柄な身体ながら弁慶、熊谷、光秀など荒物を見事にこなしたばかりか、『天の網島』の治兵衛、『沼津』の重兵衛、『良弁杉由来』の良弁などは、他に追随を許さない渋く内面的な演技として、近世の名人といわれました。

栄三の演技は、常に華麗な女形の文五郎と対比されながら、2人によって文楽は絢爛たる人形時代を創りあげ、1943年に文五郎とともに朝日文化賞を受けました。ところが、1945年3月の米軍による空襲により、文楽座は炎上し、栄三の自宅も焼失、この日奈良の疎開先で栄養失調により死去しました。いわば、「戦死」でした。


「12月9日にあった主なできごと」

1860年 嘉納治五郎誕生…講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなどスポーツの海外への道を開いた嘉納治五郎が生まれました。

1916年 夏目漱石死去…『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる夏目漱石が亡くなりました。

1945年 農地改革…連合国軍総司令部(GHQ)は、占領政策として経済構造の民主化をはかりましたが、そのひとつが、この日指令された「農地改革に関する覚書」でした。1947年から49年の間に、全国260万町歩の小作地のうち200万町歩が自作農に解放され、地主制はほぼ壊滅することになりました。
投稿日:2015年12月09日(水) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)