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「早大初代学長」 高田早苗

今日12月3日は、東京専門学校→早稲田大学の草創期に、発展の礎を築いた学者・政治家の高田早苗(たかた さなえ)が、1938年に亡くなった日です。

1860年、今の東京深川に生まれた高田早苗は、東京英語学校などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年東京大学哲学政治学及理財学科を卒業しました。在学中に法学者の小野梓と知り合ったのがきっかけで、大隈重信を盟主とする立憲改進党の結成に加わり、小野や大隈とともに東京専門学校をおこしました。

1888〜90年まで読売新聞の主筆となった高田は、小野の早逝後は、事実上の学校長的存在として、私立高等教育の確立に尽力しました。1902年には東京専門学校を早稲田大学とし、1907年に総長・学長制を敷くと、初代学長に就任し(初代総長は大隈重信)、日本の私立大学全体の地位向上に努めました。

いっぽう1890年の第1回総選挙で埼玉2区から立候補し、全国最年少で当選、立憲改進党系の政党に参加して、1903年の第8回選挙まで、通算6期を務めあげました。その間、1897年第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)で外務省通商局長、1898年第1次大隈内閣(隈板内閣)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となって活躍しています。1915年5月に貴族院議員に勅撰されると、同年8月には第2次大隈重信内閣の文部大臣として入閣しました。

1917年、早大騒動により一時大学から離れますが、1922年に大隈没後は総長に就任しています。こうして、多岐にわたる早大への功績から、学内の高田早苗記念研究図書館に名を残しています

なお高田は、英米政治研究の第一人者として『英国政典』『英国憲法史』などを著し、文芸・演劇・絵画にも第一級の鑑賞眼を示す人物でした。


「12月3日にあった主なできごと」

1552年 ザビエル死去…1549年に、初めて日本へキリスト教を伝えたカトリックの宣教師ザビエルが亡くなりました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

1894年 スティーブンソン死去…冒険小説『宝島』によって名をなし『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など独自の文学を開いたイギリスの作家スチーブンソンが亡くなりました。
投稿日:2015年12月03日(木) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)