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「100分度温度目盛」 とセルシウス

今日11月27日は、現在もっともよく使われている摂氏温度計(セ氏・ºC記号)を提唱したスウェーデンの天文学者のセルシウスが、1701年に生まれた日です。

スウェーデン中東部のウプサラに生まれたアンデルス・セルシウスは、ウプサラ大学天文学教授だった父から学んだ後、ウプサラ大学で数学・天文学・実験物理学を学び、1725年にウプサラ科学協会の書記を務めました。1730年には、父と同じウプサラ大学天文学教授となり、1744年までを務め、その間1732年から1735年までドイツ、イタリア、フランスの有名な天文台を訪ねる旅行をしています。

また、当時ニュートンが予想した地球の形状(扁球説)が、カッシーニの測量結果(長球説)と一致せず論争が続いていた問題に関して、より正確な子午線の測定が求められていました。1736年、セルシウスがパリ滞在中、モーぺルチュイと知り合い、子午線弧長の測量のためフランス王立科学アカデミーが組織したフランス探検隊に天文学者として加わり、ラップランドで行われた子午線1度の長さの実測によって、扁球説が正しいことを実証しています。

1741年、セルシウスはウプサラ天文台の創立者の1人として天文台長に就任すると、翌1742年にはスウェーデン王立科学アカデミーに投稿した論文の中で、世界最初の実用的温度計を提唱しました。これは100分目盛りの温度計であり、現在最もよく使われているセルシウス温度計の基となりました。ただし、セルシウスの提案は、水の沸点を0度、氷点を100度とするもので、現在のセルシウス温度とは逆の目盛りとするものでした。(植物学者のリンネによって氷点を0度、沸点を100度の目盛とされ、1743年ごろフランスの医師クリスタンが温度計を考案)。

ところが、その2年後の1744年、セルシウスは結核により亡くなりましたが、セルシウスの名は、摂氏温度計の名とºC記号に残り、月のセルシウス・クレーターとしても残っています。著書には、『地球形状の関する観測』、1716年から1732年まで316回ものオーロラ観測結果を収集した『オーロラの観測』があります。


「11月27日にあった主なできごと」

1095年 十字軍の提唱…ローマ教皇ウルバヌス2世は、この日フランス中部クレルモンの宗教会議で、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するために、聖なる戦いを勧告。これにより、胸に十字の標識をつけた兵士・キリスト教徒が聖地にむけて出発する「十字軍時代」が始まりました。

1769年 賀茂真淵死去…江戸時代中期に活躍した国学者で、本居宣長へ大きな影響を与えた賀茂真淵が亡くなりました。

1894年 松下幸之助誕生…パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者であるとともに、PHP研究所を設立して倫理教育に乗りだ出す一方、松下政経塾を立ち上げて政治家の育成にも意を注いだ松下幸之助が生まれました。

1958年 皇太子婚約発表…皇太子明仁親王(現天皇)と正田美智子さん(現皇后)の婚約がこの日に発表され、美智子さんが民間から出た最初の皇太子妃となることで日本中がわきたち、ミッチーブームがおこりました。
投稿日:2015年11月27日(金) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)