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「冷戦危機」 を救ったウ・タント

今日11月25日は、第3代国際連合事務総長として、キューバ危機、コンゴやキプロス紛争、ベトナム停戦などの解決に取り組み、以後の国連の役割・あり方・運営に大きな道筋をつくりあげたビルマのウ・タントが、1974年に亡くなった日です。

1909年、イギリス領ビルマ(現ミャンマー)のパンタナウに熱心な仏教徒の子として生まれたウ・タントは、地元の高校を経てラングーン大学(現ヤンゴン大学)で歴史学を専攻し、卒業後、パンタナウの高校で教鞭をとり、25歳の若さで校長に就任しています。そのころ、のちにビルマ首相となるウー・ヌーと親交を結ぶかたわら、フリー・ジャーナリストとなり、新聞・雑誌への寄稿をしたり、数冊の翻訳本を手がけたりしました。

第二次世界大戦後、ウー・ヌーとアウン・サンの要請で、反ファシスト人民自由連盟の活動に参加、報道担当官として活躍。1948年にビルマ独立後は、情報省次官、総理府計画局長・同官房長などを歴任しながら、ウー・ヌー首相の訪問外交に側近として随行しました。

1957年、優れた外交感覚を買われてビルマ国連代表となったウ・タントは、1959年国連総会副議長を経て、1961年ハマーショルド事務総長の事故死に伴い暫定事務総長に推されると、キューバ危機に対し出身国ビルマの非同盟路線を武器に温厚な人柄で平和的に解決したことで、翌1962年11月、全会一致で正式に事務総長に選任されました。

1963年には西イリアン問題を解決して1966年に再任され、1971年の中国国連代表権問題の解決に至る任期満了まで、コンゴおよびキプロス紛争、ベトナム停戦など東西緊張緩和、「国連開発の10年」など南北格差是正、国連軍の経費分担問題などの解決に取り組み、その後の国連の役割やあり方に関し、大きな功績を残しました。

なお、ビルマ人は一般的に姓を持たず、「ウ」や「ウー」は男性の敬称です。


「11月25日にあった主なできごと」

1890年 第一回帝国議会…明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれました。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれ、衆議院議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限定されていました。
 
1892年 オリンピック復活の提唱…フランスのクーベルタン男爵は、アテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られ、4年後に実現しました。

1970年 三島由紀夫割腹自殺…『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』など、ちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家の三島由紀夫が、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、割腹自殺をとげました。
投稿日:2015年11月25日(水) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)