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「飛鳥時代の女帝」 持統天皇

今日12月22日は、第41代天皇として律令国家の確立に努め、白鳳文化の発展に尽くした女帝の持統天皇(じとうてんのう)が、702年に亡くなった日です。

645年、のちに天智天皇となる中大兄皇子の次女として、「大化の改新」開始の年に生まれた持統 (名・鸕野讚良 うののさらら)は、657年13歳のときに、叔父の大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁ぎました。大海人は天智天皇の皇太子の地位につきましたが、天智の晩年に意思の疎通を欠き、671年に朝廷を去って吉野山に入ったため、持統もこれに従いました。

671年に天智が亡くなると、持統の異母弟の大友皇子が弘文天皇として天智の後をつぐものの、大海人は翌672年に「壬申の乱」を起こして大友を倒し、皇位について天武天皇となり、飛鳥浄御原(きよみはら)に都を定めて持統を皇后としました。

持統は天武の政治を補佐し、686年に天武が亡くなると、皇太子の草壁皇子を助けるものの、689年に草壁が亡くなると、690年に正式に持統天皇として即位しました。持統は、戸籍を作ったり「班田収受法」により、6歳以上の男女に一定の広さの土地を与える制度の実施にふみきるなど、諸制度を整備して、律令国家の確立に努めました。また、天武の都建設の計画を継いで、飛鳥地方藤原(今の奈良県橿原市)に藤原京を建設して694年に遷都しました。また、仏教を保護し、薬師寺などの寺院を建立したり、柿本人麻呂ら宮廷詩人を輩出させて『万葉集』の黄金時代を作るなど、「白鳳文化」の発展に尽くしました。

697年、皇位を孫の文武天皇に譲りますが、太上(だいじょう)天皇(のちの上皇)として文武の政治を助け、701年「大宝律令」の施行をみとどけると、その翌年に57年の生涯を閉じました。

なお、持統の歌として『万葉集』に収められている6首のひとつ「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」はよく知られています。また、「小倉百人一首」にも選ばれていますが、こちらは「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」となっています。


「12月22日にあった主なできごと」

1572年 三方が原の戦い…甲斐の武田信玄は、三方が原(浜松市付近)で、徳川家康・織田信長軍と戦い、勝利をおさめました。家康の生涯で唯一の敗戦といわれています。

1885年 伊藤博文初代内閣総理大臣…明治政府は、太政大臣制を廃止して内閣制度を開始し、初代の内閣総理大臣に伊藤博文が就任しました。
投稿日:2015年12月22日(火) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)