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「講談や演劇のモデル」 国定忠次

今日12月21日は、江戸時代後期の博徒で、上州から信州一帯を実質的に支配し、天保の大飢饉で農民を救済したとして講談や小説、映画、新国劇などの題材となった国定忠次/忠治(くにさだ ちゅうじ)が、1850年に亡くなった日です。

1810年、赤城山南麓の国定村(今の群馬県伊勢崎市国定町)の豪農の子に生まれた忠次(本名・長岡忠次郎)は、父が9歳で死去したため、家や土地を弟の友蔵に譲って無宿になりました。17歳のころから博徒(ばくと=金や品物を賭け、サイコロや花札などで勝負するばくち打ち)になり、しだいに有名になります。そして21歳のころ、上州大前田村(今の前橋市)の博徒・大前田英五郎の縄張りを受けついで親分となりました。

ばくち打ちを業とするものの、渡世頭取とか差配などと称して縄張り内の賭場(とば=とばく場)から寺銭をとり、無届けの賭場を荒らして金銭を奪いとりました。縄張りを守るためには子分を集めて私闘を繰りかえし、1834年には敵対する島村伊三郎を殺したことから関東取締出役に追われる身となりました。そのため長脇差、鉄砲などで武装し、赤城山を根城として役人と敵対したことで、お尋ね者となります。その後も逃亡や潜伏をくりかえすうち、1842年9月、忠治処刑の罪状の一つでもある大戸(東吾妻町大戸)の関所を破って信濃国に逃げこみました。やがて国定村に戻り、1849年には縄張りを子分の境川安五郎に譲るものの、1850年7月に中風となり、隣村(田部井村)の宇右衛門宅で療養していたところを密告され、江戸勘定奉行の取り調べの上、罪状が多すぎるため最も重い関所破りを適用されて、はりつけとなったのでした。

明治以降、講談、小説、演劇、映画、浪曲などで描かれる忠次像は、才知、胆力、人情に優れ、貧しい農民の味方をして悪い代官をこらしめる人物として扱われていますが、たいていのものはフィクション。忠次を題材とする戯曲としては、「赤城の山も今宵をかぎり」の名台詞で有名な新国劇の行友(ゆきとも)李風作『国定忠治』(1919年)、舞台に激しいチャンバラを持ち込み内省的な忠次を描いた真山青果作『国定忠治』(1932年)、新しい観点での忠次像を否定的に打ち出した村山知義作『国定忠治』(1957年)などのほか、長谷川伸らの小説、伊藤大輔監督の映画『忠次旅日記』がよく知られています。


「12月21日にあった主なできごと」

1339年 南北朝時代はじまる…後醍醐天皇が吉野に移り「南朝」を開いたため、室町幕府を開いていた足利尊氏は新しい天皇を立てて「北朝」として、朝廷の分裂時代がはじまりました。南北朝時代は、室町幕府3代将軍足利義満が1392年、北朝に統一するまで続きました。

1909年 松本清張誕生…『点と線』『ゼロの焦点』など、「社会派推理小説」と呼ばれる傑作を次々にヒットさせた松本清張が生まれました。
投稿日:2015年12月21日(月) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)