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最新記事【2015年11月26日】

今日11月26日は、唐朝第3代皇帝高宗の寵愛を受けて高宗の皇后となり、その死後に「周」を興して皇帝となり、15年にわたって中国全土を支配した則天武后(そくてんぶこう)が、705年に亡くなった日です。

624年または630年に、山西省の大材木商で唐朝の創業に貢献して栄進した武氏の娘として生まれた、のちの則天武后(本名・照)は、14歳のとき、その才知と美貌により、唐の第2代皇帝太宗の私生活の場である後宮に入りました。649年に帝が亡くなると尼となっていましたが、その美しさと激しい気性が、唐朝第3代皇帝高宗に気に入られて高宗の後宮に入りました。そして、皇后の王氏や反対勢力を押し切って高宗の寵愛を得ると、655年に、自ら皇后となりました。

その後、高宗が病気がちであることを利用して政治に口をはさみ、文芸や事務能力に長じた新興官僚を巧みに登用して操縦し、貴族層を排斥しました。やがて高宗が病に伏すと、自ら政務を行い、武氏一族による独裁権力をふるうようになります。そして、683年に高宗が病没すると、実子の中宗、弟の睿宗を次々と帝位につけ、彼女に反抗して挙兵した李敬業や唐の皇族らを武力で打倒して殺したり左遷して武氏の天下を宣伝し、690年、国号を「周」(中国では「武周」)と改め、自ら皇帝「則天武后」を名乗り、中国史上唯一の女帝となって約15年間、中国全土を支配しました。

理想の世とされていた古代の周王朝(BC11世紀〜399年)の政治に従って暦法、官名などを改正したり、則天文字という新字を使わせるなど、政治、社会、文化の各方面にわたり新機運をもたらした点は、評価されるものの、やがて政治が乱れ、これに反対する勢力が705年に、中宗をふたたび帝位につけたことで退位し、まもなく亡くなったのでした。

なお、林語堂の小説や郭沫若の戯曲など、則天武后をテーマにした作品も多く、その女傑ぶりはいまなお語りぐさとなっています。また、則天武后の名称は自らの遺言によるもので、中国では「武則天」と呼ぶのが一般的です。


「11月26日にあった主なできごと」

1086年 院政のはじまり…白河天皇がわずか8歳のわが子に、堀川天皇として位を譲りました。上皇となった白河天皇は、幼い天皇の後見役として政治の実権を握り続けました。上皇のいるところが「院」と呼ばれ、そこで政治が行なわれたために「院政」とよばれます。

1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。

1911年 小村寿太郎死去…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官の小村寿太郎が亡くなりました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジアの探検にそそぎ、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたスウェーデンのヘディンが亡くなりました。
投稿日:2015年11月26日(木) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)