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忘れられた思想家・安藤昌益

今日10月14日は、江戸時代中期の思想家で、農業エコロジーの先駆者といわれる安藤昌益(あんどう しょうえき)が、1762年に亡くなった日です。

安藤昌益の生涯については、いまなお不明なところが多いのが実情です。というのも、その存在は1899年ごろ、哲学者狩野亨吉が注目するまで、全くといってよいほど世間に知られていませんでした。そして太平洋戦争後、カナダの外交官で日本史研究家E.H.ノーマンの著書「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」などの影響で、身分制度を根本から批判した思想家として世界的に注目されるに至りました。

昌益は1703年ころ、出羽国(現在の秋田県大館市)の農家に生まれ、15歳前後に京都に上って仏門に入りました。しかし、仏教の教えに疑問を持ち、医学と本草学を学んだのち、陸奥国(今の青森県)八戸で開業医になり、42歳前後から約15年間、八戸で過ごしたことがわかっています。

当時の八戸では、凶作と飢饉が猛威をふるっていて、大豆生産のために焼き畑を繰り返したことで猪の大発生を招き、多くの餓死者を出しました。にもかかわらず藩は、年貢を増やし凶作に対しても無策でした。民衆の大きな不満を感じとった昌益は、1752年から3年ほどかけて主著となる大作『自然真営道』(101巻93冊)を著わしました。

この本の中で昌益は、「非命にして死せる者のためにこれを記す」と農民の立場に立って、徹底した封建的な階級制度批判を展開しました。「人間は、鍬で地面を耕し、築いた田畑で額に汗して働くべきで、武士が農民の生産物を年貢として収奪する身分制があるのはおかしい。武士の数を減らして農民とし、労働をきらうなまけ者は、やる気がおきるまで牢に入れよ。階級制度を廃し、人が平等に働く社会をめざすべきだ」とし、儒教や仏教をも、統治者の不耕貪食を正当化するための偽善であると非難したのでした。

こうして、昌益の考えに同調する門人がたくさん集まり、弟子たちは一門の全国集会を開催するほどでした。しかし、封建制を真正面から否定する思想は、封建支配者たちにとって迷惑な存在だったのでしょう。昌益の存在や履歴そのものを抹殺したに違いありません。


「10月14日にあった主なできごと」

1867年 大政奉還…江戸幕府の第15代将軍 徳川慶喜 は明治天皇に、統治権を返上することを申し出ました。

1872年 日本初の鉄道開通…東京・新橋と横浜の間29kmに、わが国初の鉄道が開通しました。この日(旧暦9月12日=新暦10月14日)を記念して国鉄(今のJR)は、1922年から「鉄道記念日」として制定しました。1992年、運輸省(今の国土交通省)は「鉄道の日」と改め、私鉄も含め、全国各地で鉄道に関する行事を行っています。

投稿日:2011年10月14日(金) 07:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)