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「第2次世界大戦」 とアイゼンハワー

今日10月17日は、アメリカ合衆国の軍人で、第2次世界大戦中にヨーロッパの連合軍最高司令官として活躍し終結させた功績者と讃えられ、第34代大統領をつとめたアイゼンハワーが、1890年に生まれた日です。

テキサス州デニソンに貧しい鉄道労働者の子として生まれたドワイト・デービッド・アイゼンハワーは、戦争ぎらいの両親の希望に反して、1915年に陸軍士官学校を卒業。戦車隊に配属された後、まもなく戦車隊の教官に抜てきされ、第1次世界大戦の末期のフランスに渡りました。帰国後、陸軍大学校に入学して1926年に優秀な成績で卒業すると、指揮官および参謀学校に着任します。

やがてアイゼンハワーは、陸軍参謀総長マッカーサー大将の補佐官を務めるようになり、フィリピン政府の軍事顧問を務めることになったマッカーサーに同行しました。1939年に帰国、このときはまだ中佐でしたが、アメリカが第2次世界大戦に参戦すると、戦車作戦に対する数々の成果や優れた管理・統率能力が認められ、ヨーロッパ戦線のアメリカ司令官に大抜てきされました。

モロッコとアルジェリアへの連合軍上陸作戦を計画して実行したのち、1943年末に「ノルマンディー上陸作戦」が立案され、ヨーロッパ戦線に450万人の連合軍全軍の最高司令官に指名されます。こうしてアイゼンハワーは、1944年6月、4000隻の艦隊と、300万人の将兵による上陸作戦を成功させ、ドイツ降伏に大きく寄与しました。まもなく、元帥に昇進、アメリカの「国民的英雄」として讃えられたばかりか、その親しみやすい人柄から「アイク」の愛称でよばれるようになりました。

1948年に退役して、コロンビア大学総長となったアイゼンハワーは、1950年に陸軍に復帰して、NATO(北大西洋条約機構)の同盟軍最高司令官になりました。さらに、1952年の大統領選挙には周囲の人たちに推されて共和党から立候補すると、圧倒的な勝利をおさめて、第34代大統領に就任しました。就任早々、公約だった「朝鮮戦争」と「インドシナ戦争」を休戦に導き、国内政策では、積極的に道路建設をするなど高度経済成長政策をとったほか、いきすぎた「赤狩り」(共産主義者追放運動)をたしなめました。また、東西対立の緊張緩和のための「ジュネーブ巨頭会談」にも参加するなど、その誠実な人柄とともに、国民に愛される大統領となりました。

ところが2期目になると、宇宙開発でソ連に遅れをとりはじめたショックや景気の悪化、日米新安保条約を結ぶものの日本訪問の予定が反対デモのために中止となるなど、内政と外交のつまずきがあいついで、1961年に大統領の座を ケネディ に引き渡したのでした。引退後は、ペンシルベニアの農場へ帰り、1969年に亡くなりました。


「10月17日にあった主なできごと」

1849年 ショパン死去…、ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開いた「ピアノの詩人」と呼ばれた作曲家 ショパン が亡くなりました。

1887年 日本初の水道開始…江戸時代末に開港し、急激に人口が増えたために水が不足、コレラなどが流行した横浜に、近代的な水道が日本で初めて使用されるようになりました。

投稿日:2011年10月17日(月) 07:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)