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熱力学の大家・ジュール

今日12月24日は、イギリスの物理学者で「ジュールの法則」の発見や「エネルギー保存の法則」の原理を導いた一人であるジュールが、1818年に生まれた日です。

ジェームス・プレスコット・ジュールは、マンチェスター近郊のサンフォードにある裕福な醸造家の子として生まれました。19世紀のはじめのイギリスは、産業革命がかなり進んでいて、特にマンチェスターは、ロンドンやバーミンガムと並んで工業都市の中心でした。しかしジュールは、子どものころから病気がちだったため、学校教育を受けずに、家庭教師について自宅で学びました。

科学に興味を持ったジュールは、家の一室を実験室に、さまざまな研究をはじめました。1834年から、原子論で名高い ドルトン の開いた地元の私塾に入り、数学や化学を学びました。ドルトンは年老いていましたが、ジュールの熱心さと能力を高く評価して、「文芸自然協会」という学者たちの集まりにも誘ってくれました。

やがてジュールは、自分の家の酒造りに使っていた発電機やモーターを調べてみました。当時の動力は蒸気が中心だったので、より効率のよい電気動力にできないものかと、実験を重ねはじめました。そのうち、電磁石の針金が電流を通すと熱くなることに注目して、1840年、有名な「電気の導体の発熱量は導体の抵抗と電流の2乗との積に比例する」という「ジュールの法則」を発見しました。また、電流によって発生する熱のことは「ジュール熱」と呼ばれています。これらの発見は、ジュールがわずか22歳の時の快挙でした。

そののちのジュールは、モーターからさらなる発電機の研究に移り、強い電磁石の働いているところへ、小さい発電機を回し、電磁石のまわりに水を入れたガラス管をくくりつけて、回転する電磁石の中で出来る熱(ジュール熱)でどのくらい水温が上がるかを温度計で調べてみました。こうして、水を1度温めるためには、同じ分量の水を424mもちあげる仕事量に等しいことを発見しました。これは、マイヤーやヘルムホルツの研究と並んで「エネルギー保存の原理」を打ち立てるものでした。

1847年、ジュールは、オックスフォードで開かれた「大英学術協会」で、これまで手がけてきたさまざまな実験と研究についての論文に関し、詳細な説明をしました。しかし科学者たちは、ジュールの話を真剣に聞こうとしません。ジュールが、酸造業者で学者でなかったからだといわれています。座長がジュールに話を早めに切り上げるように求めたところ、聴衆の中の一人の若者が立ち上がり、この実験はとても大切なものだと、ジュールにいくつかの質問をしたのです。おかげで、学者たちはやっとジュールの研究に注目するようにようになりました。この青年こそ、のちの大物理学者となるケルビン卿で、やがて二人は友情をかわすようになり、協力者になっていきました。

しかし、晩年のジュールは不遇でした。豊かだったジュール家が時代の嵐のなかに埋没してしまい、1889年に亡くなりました。


「12月24日はこんな日」

今夜は、クリスマス・イブです。12月25日がイエス・キリストが誕生した日といわれ、その前日の夜なのでクリスマス・イブといいます。(詳細は、2009.12.24ブログ 参照)


「12月24日にあった主なできごと」

1524年 バスコ・ダ・ガマ死去…ポルトガルの航海者で、アフリカ大陸南端にある喜望峰まわりのインド航路を発見し、ポルトガル海上帝国の基礎を築いた バスコ・ダ・ガマ が亡くなりました。

1814年 ガン条約…ナポレオンの大陸封鎖に対抗し、イギリスはアメリカの海上を封鎖して、フランスとアメリカの交易を妨害したことで、英米戦争が勃発していました。この日ベルギーのガンで、両国は講和条約に調印(ガン条約)、アメリカとカナダとの国境が確定しました。

1953年 奄美群島返還協定…1972年の沖縄返還協定に19年先立ち、奄美群島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島)をアメリカから日本に返還する調印が行なわれました。

投稿日:2010年12月24日(金) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)