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「原子の考え」 をとなえたドルトン

今日7月27日は、イギリスの化学、物理学、気象学者で、原子説を提唱したことで知られるドルトンが、1844年に亡くなった日です。

ジョン・ドルトンは1766年、マンチェスターの貧しい職工の家に生まれました。幼い頃からとても勉強家で、地元の小学校で初等教育を受けましたが、そこの教師が引退すると、わずか12歳で教師になりました。

ドルトンの科学への興味は、身近な大気の研究からはじまりました。1793年に『気象観測と気象論』という本に著し、詩人のゲーテはドルトンに刺激されて、雲のカレンダーをこしらえたといわれています。その頃から、自分で設計した寒暖計、気圧計、湿度計を使って気象観測を毎日何十回となく行い、その記録はその後46年間、亡くなる前日まで続けられたのでした。

ドルトンの業績で最も評価の高いものは、原子説を提唱したことです。大気の研究を深めているうち、上空の大気と地上の大気の組成にあまり違いがないことに気づきましたが、重い炭酸ガスがなぜ下の方にたまらないのかという疑問にぶつかりました。運動している小さい粒(原子)のことが頭に浮かび、あらゆる物質は原子から構成されているという仮設を立てました。

この考え方は、ドルトン独自のものでなく、古代ギリシアのデモクリストスらも考えていたものでしたが、彼らが原子の数も形も無限のものとしていたのに対し、ドルトンはおなじ元素の原子はすべて同じもので、物質間の化合はすべて原子と原子の結びつきでおこるとしました。この考えによって、その頃確立された「定比例の法則」(純粋の化合物は元素が決まった割合で化合したもの)をさらに推し進めた「倍数比例の法則」を、1804年に発表しました。この法則は、2つの元素が化合して2種類以上の化合物が出来る場合、1つの元素の一定量に対し、もう一方の元素の量は簡単な整数の比になるというもので、たとえば炭素(C)と酸素(O)の化合物である二酸化炭素(CO2)のように、炭素と酸素の量は1:2のように整数比となるというものです。

この発表による反響は大きかったものの、本国のイギリスではあまり重要視されず、60歳をすぎても生徒に算数を教えて生計を立てなくてはなりませんでした。ある化学者がドルトンほどの大学者を重用しないのは国の恥だと政府を動かして、なんとか年金がもらえるようになったものの、死ぬまで教師を続け、気象ノートをとりつづけたのでした。

ドルトンの原子説はのちに近代化学の出発点となり、さまざまな現象を理解するための大きな土台となったのです。


「7月27日にあった主なできごと」

1887年 山本有三誕生…小説『路傍の石』『真実一路』や戯曲『米百俵』など、生命の尊厳や人間の生き方についてやさしい文体で書かれた作品を多く残した 山本有三 が生まれました。(2009.7.26ブログ 参照)

投稿日:2010年07月27日(火) 08:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)