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日本式書道を確立した小野道風

今日12月27日は、平安時代中期に活躍した書道家で、それまでの中国的な書風から脱皮して、和様(日本式)書道の基礎を築いた小野道風が、966年に亡くなった日です。

ある日、道風が、ふと柳の下を見ると、1匹のカエルが、たれさがった枝に飛びつこうとしていました。カエルは、飛びあがっては落ち、落ちては飛びあがりました。失敗しても失敗しても、あきらめません。そして、しだいに高く飛べるようになったと思うと、ついに成功しました。道風は、心をうたれ、それまで自分の努力がたりなかったことを反省して、やがて、すばらしい書家になりました……。

この話は、伝説です。でも道風が、自分の心の弱さにうち勝ってこそはじめて、歴史に残る書家になることができたことを、おもしろく伝えています。

道風は、聖徳太子の時代に遣唐使として中国へわたった小野妹子の子孫です。894年に尾張国(愛知県)で生まれ、72歳で亡くなるまで、醍醐、朱雀、村上の3人の天皇に役人としてつかえました。

しかし、先祖がどんなに血筋の正しい家がらでも、道風は、役人としては出世できませんでした。そのころの朝廷では天皇家とつながりをもつ藤原氏が政治の権力をにぎり、藤原氏以外の人びとは、たとえ家がらがよくても、才能があっても、人一倍努力をしても、高い位にはのぼれなかったためです。

役人になってまもなく、幼いころから筆を持つことが好きだった道風は、書家として身をたてることを決心しました。そして、何度もくじけそうになるのをのり越えて、30歳には、もう日本一といわれるほどの書家になっていました。道風が32歳になった926年に、奈良興福寺の寛建という僧が日本を代表する書を持って唐へわたりましたが、それは、道風が書いた巻物だったということです。

道風は、宮廷の書家として、天皇が命令を伝える勅書や、宮中の屏風を飾る詩の文字などを、おおく書きました。また、書を習う人びとのために、いくつもの手本の巻物を書きました。

しかし、いまは、『屏風土代』という屏風の詩の下書き、国宝となっている『智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)』と題する天皇のことばを伝えたもの、『玉泉帖(ぎょくせんじょう)・写真』という巻物を除くと、道風の書とはっきりしているものは、ほとんど残っていません。

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道風は、それまでの中国ふうのかたい書からぬけだして、やわらかい日本独特の美しさをもつ書をつくりだしました。そして、のちには、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)とともに、「三蹟」とたたえられるようになりました。


「12月27日にあった主なできごと」

1571年 ケプラー誕生…惑星の軌道と運動に関する「ケプラーの法則」を発見したケプラーが生まれました。

1780年 頼山陽誕生…源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著した学者・歴史家で、詩人・書家としても活躍した頼山陽が生まれました。

1822年 パスツール誕生…フランスの細菌学者・化学者で、狂犬病ワクチンを初めて人体に接種したことなどの業績により、「近代細菌学の開祖」といわれのパスツールが生まれました。


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本年もご愛読をありがとうございました。
新年は5日からスタートする予定です。
皆さま、良いお年を !

投稿日:2010年12月27日(月) 07:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)