今日8月6日は、スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが、1660年に亡くなった日です。
ディエゴ・ベラスケスは、1599年スペイン南部の当時もっとも栄えていた都市セビーリャに生まれました。11歳で当地の有力な画家のパチェーコに弟子入りしました。パチェーコは、画家であるとともに詩人でもあり古典の素養のある知識人だったため、ベラスケスは、パェチーコ家に集まるたくさんの芸術家や学者から多方面の文化を学びました。パチェーコは、ベラスケスが自分よりはるかに優れた画家としての能力があることを、公然と認める心の広さをもった人物でした。
6年の徒弟時代を終えたベラスケスは、わずか17歳で親方としての資格審査を通りました。こうして最上級の画家の地位を得て、当時のスペイン画壇の中心だった厨房画(ボデゴン)と呼ばれる、厨房を中心とした室内情景や静物を描いた絵画を多く残しています。18歳で、ベラスケスは、パチェーコの娘フアナと結婚。1623年には、マドリードに出て国王フェリペ4世付きの宮廷画家となりました。
美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇しました。宮廷内に画家のアトリエをこしらえ、ベラスケス以外に自分の肖像を描かせないほどのお気に入りでした。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったため、画家としてだけでなく、ベラスケスを宮廷の役人としても重用しました。王の私室取次係、宮内警吏、王室待従代理など順調に出世し、晩年には宮廷装飾の責任者を命じられ、貴族、王の側近としての地位を与えられました。こうしてベラスケスは、61歳で亡くなるまでの30数年にわたり、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描きつづけました。
多くの画家が波乱万丈の一生を送ったのに対し、ベラスケスほど順調な生涯をを終えた画家はめずらしいといわれています。絵を描けば誰にも負けず、若くして宮廷画家となって名画の数々を残し、国王の期待通りの職務を遂行し、生涯師匠の娘である妻を愛し続け、出世街道をまっしぐらに進み、ついには願い通り騎士の称号を序せられたのです。
なお、ベラスケスの代表作『ラス・メニーナス』(女官たち)につきましては、[2007年8月23日ブログ] をご覧ください。
1985年『イラストレイティッド・ロンドンニューズ』誌の読者投票は、この作品を世界最高絵画に選びました。
「8月6日にあった主なできごと」
1806年 神聖ローマ帝国滅亡…フランツ2世が退位して、844年間の歴史を閉じました。
1809年 テニスン誕生…ビクトリア朝時代を代表するイギリスの詩人テニスンが生まれた。[2009年8月6日ブログ 参照]
1881年 フレミング誕生…青かびからとりだした物質が大きな殺菌力をもつことを偶然に発見し、ペニシリンと命名して世界の医学者を驚かせた フレミング が生まれました。
1945年 広島に原爆投下される…アメリカ空軍B29爆撃機が、人類初の原爆を広島に投下しました。[2007年8月6日ブログ 参照]