今日8月5日は、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ4か国の連合艦隊が1864年、長州藩(山口県)に戦争をいどんだ日です。3日間の戦いの末に連合艦隊が完勝しました。
明治維新のリーダー役だった長州藩は、外国を追い払うという考え方(攘夷派)の先頭に立っていました。そのため前年の1863年5月、馬関海峡(今の関門海峡)を封鎖して、航行中のアメリカ・フランス商船に対して砲撃を加えるという攘夷の行動にでました。それから半月後、アメリカ・フランス軍艦は、長州軍艦を砲撃してしかえしをしました。ところが長州はこれにめげず、砲台を修復したばかりか、対岸の小倉藩領の彦島も占領して新たな砲台を築き、海峡封鎖をし続けたのです。
大きな経済的損失を受けたイギリスは、長州に懲戒的報復することを決定。フランス・オランダ・アメリカに参加を呼びかけて、艦船17隻の連合艦隊を編成し、1864年7月末に横浜沖を出て、下関にむかいました。
馬関海峡についた同艦隊は、旗艦ユーリアルス号から発した戦闘開始の信号を合図に、馬関(現下関市の中心部)と彦島の砲台を砲撃しはじめました。戦闘は8日までつづいたものの、圧倒的な規模をほこる連合国の敵ではなく、長州の砲台は次々に壊されていきました。こうして完膚なきまでに打ちのめされた長州は、攘夷の無謀さをはっきりと知りました。
方向転換してイギリスに接近した長州は、欧米から新知識や技術を積極的に導入して、軍備を近代化していきました。そして同時期に近代化路線に転換した薩摩藩とともに、倒幕への道を一気に進むことになるのです。
「8月5日にあった主なできごと」
1895年 エンゲルス死去…マルクスとともに「共産党宣言」「資本論」などを著した エンゲルス が亡くなりました。