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下克上のチャンピオン豊臣秀吉

今日8月18日は、戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた豊臣秀吉が、1598年に亡くなった日です。秀吉は、絢爛豪華な桃山文化を築いた武将としても知られています。

秀吉の一生をえがいた「太閤記」は、江戸時代以来たくさんの作家に書かれ、現代も吉川英治、山岡荘八、司馬遼太郎らの原作をもとにテレビや映画となって、親しまれています。名もない百姓の子が天下を統一するという偉業をなしとげたところに、人気の秘密があるのでしょう。

秀吉は、16歳の頃に織田信長のぞうりとりとして仕えはじめ、よくまわる頭を使って次第に頭角をあらわし、35歳の頃には早くも一城の主になりました。やがて中国の毛利氏と戦っているとき、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国からすぐに引き返して、山崎の戦いで光秀を破って、信長の後継の地位を得ました。その後、大坂城を築いて関白・太政大臣に任ぜられ、日本全国の大名を従えて、天下統一を成し遂げたのです。

政治家としての秀吉は、刀狩や太閤検地を行なって兵農分離をしたり、貨幣統一など幕藩体制の基礎をきずいたものの、2度にわたる朝鮮攻めなど、評価は二分しているといってよいでしょう。

秀吉の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「豊臣秀吉」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。

「8月18日にあった主なできごと」

1227年 蒙古部族を統一してモンゴル国を建設したチンギス・ハンが亡くなりました。チンギス・ハンの詳しい生涯につきましては、上記オンラインブックの 「チンギス・ハン」 をご覧ください。

1850年 「谷間の百合」や「ゴリオ爺さん」など、「人間喜劇」と名づけた作品群を遺したフランスの大作家バルザックが亡くなりました。バルザックについては、5月20日のブログ をご覧ください。

1909年 東京市(東京都)が、ワシントンへ桜の苗木を2000本贈ることに決定しました。苗木はポトマック河畔に植えられて、いまや桜の名所として有名です。

1930年 作家の谷崎潤一郎と、その妻千代子が離婚し、谷崎の友人の作家佐藤春夫が千代子と再婚するという細君譲渡騒動がおきました。このことを書いた挨拶状が関係者に送られたため、一大センセーションがまきおこりました。谷崎潤一郎につきましては、7月30日のブログ をご覧ください。

1966年 北京で、中学生や大学生を中心とする紅衛兵100万人が文化大革命の勝利を祝う大集会を開きました。この文化大革命運動は、共産党内の反毛沢東分子や親ソ連派を「資本主義の復活をはかる実務派」として打倒、翌年4月の九全大会で、毛沢東、林彪路線を確定することになりました。 

投稿日:2008年08月18日(月) 09:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)