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蒸気機関を完成させたワット

今日8月19日は、18世紀末頃からイギリスにおこった産業革命の原動力ともいえる、蒸気機関の改良をおしすすめたワットが、1819年に亡くなった日です。

ワットの蒸気機関の発明は、イギリスの産業革命で、最大のできごとといわれます。

蒸気機関の原理は、古くから考えられていました。でも、実用的なものができはじめたのは、17世紀のすえごろからです。セーバリやニューコメンらによって作られた単純な装置で、鉱山の排水などに利用されていました。ワットは、ニューコメンの機械を細かく調べあげ、新しい蒸気機関を発明しました。ワットの20年にもおよぶ血のにじむような努力が、つみ重ねられた結果でした。

ジェームズ・ワットは、1736年スコットランドのグリノックという港町に生まれました。父が船大工でしたので、ワットは仕事場にある道具でいろいろな模型をつくって遊んだり、父の仕事をてつだったりしながら育ちました。19歳のときロンドンにでて、機械屋ジョン・モーガンのところに弟子いりしました。手先の器用なワットは、モーガン親方の教える技術を、たちまち自分のものにしてしまい、1年ごにはグリノックへもどりました。

1757年、グラスゴー大学の教授たちの好意で、ワットは大学のなかに数学器具の店をひらくことになりました。ある時、ニューコメン機関の模型の修理をたのまれて、蒸気機関をてがけることになりました。

「これでは能率が悪い。石炭もたくさんいるし、蒸気もむだだ」

ニューコメンの機械が、あまりにも欠点のおおいことに気づいたワットは、改良しようと思いたちました。それからはもう、蒸気機関にむちゅうになり、昼も夜も、研究にあけくれました。

まず、蒸気を冷やす復水器という装置を研究し、つぎに、大気圧にたよらず蒸気の圧力で、ピストンを往復させるしくみを考えました。でも、なんど実験しても失敗の連続です。研究にうちこめばうちこむほど、生活は苦しくなり、借金がふえるばかりです。店もたたまなければならなくなり、妻にも先だたれ、すっかり希望をなくしてしまいました。

そのときにあらわれたのが、金持ちの工場主マシュー・ボールトンです。ボールトンは、ワットの発明に大きな期待をかけました。ワットは、力強い協力をえて、ついに新型の蒸気機関を完成させました。そして、ピストンの往復運動を回転式にきりかえるなど、いろいろな工場の機械を動かす原動機にしあげたのです。ワットのすぐれた蒸気機関は、産業を手工業から工場生産に発展させただけでなく、世のなかのしくみまでも変えてしまいました。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 7巻「ワシントン・ペスタロッチ・ジェンナー」の後半に収録されている7編の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

「8月19日にあった主なできごと」

1662年 液体の圧力に関する「パスカルの法則」や、随想録「パンセ」の著書で有名な物理学者・哲学者パスカルが亡くなりました。パスカルについては、6月19日のブログ をご覧ください。

1832年 「ねずみ小僧次郎吉」といわれる大泥棒が、鈴が森刑場でさらし首の刑に処せられました。ねずみ小僧は15年間に、大名などの武家屋敷100か所から1万両もの大金を盗み、貧しい人たちに配ったという逸話が伝えられ、ねずみ小僧を主人公にした小説が、芥川龍之介、菊池寛、吉行淳之介らたくさんの作家に書かれています。芥川龍之介の作品は、青空文庫 で読むことができます。

1929年 ドイツの飛行船「ツェッペリング伯号」が世界周航の途中、霞ヶ浦飛行場に到着。全長240mもの巨船に、日本中が大騒ぎになりました。飛行船の時代が来るかと思われましたが、可燃性や操縦の困難性を克服できず、次第にすたれていきました。

投稿日:2008年08月19日(火) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)