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2017年版 10月24日はこんな日


● 今日(10月24日)の主なできごと

1876年 神風連の乱……明治政府が、士族の廃刀令や身分特権の廃止したことに対し、熊本県の不平士族太田黒伴雄ら170数名は神風連を結成。この日反乱をおこして、新政府の熊本鎮台司令官や熊本県令(知事)を殺害したが、翌日、鎮台兵により鎮圧された。神風連側の死者・自刃者は124名。この事件に呼応して「秋月の乱」「萩の乱」が発生、翌年の「西南戦争」へとつながっていった。

1929年 暗黒の木曜日……アメリカのニューヨークにある株式市場で、株が史上最大の暴落。その日が木曜日だったため「暗黒の木曜日」といわれている。5日後にもまた値下がりが続き、わずか2週間ほどで株価が半分以下となって、アメリカ経済は大混乱となった。多くの人が財産を失い、失業者があふれ、自殺者もでる騒ぎになった。こうしてアメリカではじまった大恐慌は、全世界をまきこむ「世界恐慌」になっていく。


● 今日の主な記念日・恒例日

国連デー……1945年のこの日、国連憲章が発効し、国際連合が発足したことを記念した国際デーの一つで、1948年から実施。日本は1956年に国連加入が認められた。

世界開発情報の日……1970年のこの日、「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」が採択されたことにちなみ、1972年の国連総会で制定した国際デーの一つ。世界中で行われている開発に関する情報を集め、地球全体の開発のバランスを考える日。


● 今日生まれた人

1632年 レーウェンフック……オランダの生物学者。史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察。「微生物学の父」

1804年 ウェーバー……ドイツの物理学者。磁束の単位 Wb(ウェーバ)の由来。

1817年 島津久光……幕末期における薩摩藩の実質的権力者。薩英戦争の講和以後イギリスとの友好関係を築き、武力倒幕路線を確定。

1895年 奥むめお……大正・昭和期の女性運動家・政治家。主婦連を立ち上げるなど消費者・婦人運動を終生指導。

1933年 渡辺淳一……昭和・平成期の小説家。代表作『光と影』『遠き落日』『失楽園』など。


● 今日亡くなった人

1601年 ブラーエ……デンマークの天文学者・占星学者。膨大な天体観測記録を残し、「ケプラーの法則」を生む基礎となる。

1708年 関孝和……江戸時代前・中期の数学者。「和算」の祖。

1910年 山田美妙……明治期の小説家・詩人・評論家・国語学者。言文一致体・新体詩運動の先駆者。

1957年 クリスチャン・ディオール……フランスの服飾デザイナー。

1985年 永田雅一……昭和期の実業家・映画プロデューサー。「大映」創業。

2011年 北杜夫……昭和・平成期の小説家。代表作『どくとるマンボウ航海記』『楡家の人びと』など。


● 過去のマイブログ「10月24日」のテーマ

2013年  熱ってなーに?
私たちは日常、「熱が高い」「熱が低い」「平熱」といったことを口にしますが、いったい熱ってなんなのでしょう。むかしは、「熱は、熱いものから冷たいものへ流れる、目に見えない液体のようなもの」と考えていました。この空想上の液体は熱素(カロリック)とよばれていました。今では、水や空気、食物や私たちの身体などは、すべて物体といって、分子や原子と呼ばれる小さな粒(つぶ)でできているということがわかりました。そして、「熱というのは……。

2012年  [おもしろ民話集 59] 人間の寿命
むかしむかし、この世をつくった神さまが、それぞれの生き物たちの寿命を何年にするかを考えていました。そこへ、ロバがやってきたので、神さまはロバにたずねました。「おまえの寿命を、30年にしたいが、どうじゃな」 「いいえ、神さま、30年は長すぎます。わたしのつらい生活をお考えください。わたしは朝から晩まで重い荷物を運んだり、他人がパンをたべるための麦の入った袋を水車場まで引っぱっていかなくてはなりません……。

2011年 「和算」 の関孝和
江戸時代前期の数学者で、「和算」とよばれる数学の理論を世界的なレベルまで発展させた関孝和(せき たかかず/こうわ)が、1708年に亡くなった日です。1640年前後に、幕府の旗本の子に生まれたといわれる関孝和ですが、その生いたちや、数学の基礎をいつ、どこで、どんな師について学んだのか、ほとんどわかっていません。関家が、孝和の次の代で断絶したため、何の資料も残っていないためです……。

2008年  子どもの心に読書に親しむ素地を育てる
ある人の話です。6年生の長男に、10年以上も本を読んでやってきた結果、児童文学のファンになったのは私だけ。子どもはマンガばかりに夢中で、本はほとんど読みません。それでもいつかはと、期待して読み聞かせをしてきたのですが、その期待も実らないまま、親離れしていく時期になったのです。寝る前の読み聞かせは、子どもにとって、それが眠り薬のようなものだとしても、親子の安らぎの時でした……。

2007年  みちがえる店舗と客の入り
つい10年ほど前まで「朝鮮焼肉」といえば、カルビやロース1人前の料金1000円前後と、一般庶民にとってはごちそうで、いつも口にできる手軽な食事ではありませんでした。ところが、数年前から、朝鮮焼肉の大衆化が一気に進み、数多くのファミレス風の焼肉チェーンがしのぎをけずって参入したため、カルビやロース1人前が450〜600円ほどで食べられるようになり、さらに、1人前80gほどだったのが、100g〜120gほどに増量する店も出てきました……。

2006年 「牧野富太郎」 のこども時代
父も母も小さいときに亡くして祖母に育てられた富太郎には、友だちができませんでした。そのうえ、みんなから 「西洋ハタットオ」 とよばれて、からかわれました。富太郎が生まれた高知県あたりでは、バッタのことをハタットオとよび、やせて骨のでっぱった富太郎のからだつきが、すこしかわったバッタに、にていたからです。富太郎は、酒屋だった牧野家のあとつぎでしたから……。
投稿日:2017年10月24日(火) 05:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)