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2017年版 10月19日はこんな日


● 今日(10月19日)の主なできごと

1956年 日ソ国交回復……「日ソ共同宣言」をモスクワで正式調印し、国交が回復することになった。1951年に日本と連合国48か国とのあいだで講和条約が成立していたが、ソ連がこの条約に調印をしなかったため、国交がとだえたままだった。これにより、日本は国際連盟に加盟することができたが、北方領土の問題は先送りされた。

1987年 ブラックマンデー……ニューヨークの株式市場で、株価が22.6%の下落という1929年の「暗黒の木曜日」を上回る史上最悪の下げ幅を記録し、世界各国の経済を大混乱におとしいれた。


● 今日の主な記念日・恒例日

住育の日/TOEICの日……「じゅう(10)い(1)く(9)」の語呂合せから、日本健康住宅協会が「住育の日」を制定。また、「トー(10)イッ(1)ク(9)」の語呂合せから、世界共通の英語コミュニケーション能力検定「TOEIC」を日本で実施する国際ビジネスコミュニケーション協会が「TOEICの日」を制定。


● 今日生まれた人

1862年 オーギュスト・リュミエール……フランスの発明家。弟ルイと映写機発明。

1885年 メリル……アメリカの実業家。3大投資銀行の1つ「メリルリンチ」創設。


● 今日亡くなった人

1745年 スウィフト……アイルランド出身イギリスの諷刺作家・詩人。代表作『ガリバー旅行記』。

1936年 魯迅……中国の小説家・思想家。代表作『阿Q正伝』『狂人日記』。

1937年 ラザフォード……イギリスの物理学者。原子核の発見・原子核の人工変換など。「原子物理学の父」

1952年 土井晩翠……明治・大正・昭和期の詩人・イギリス文学者。代表作『天地有情』(詩集)、『荒城の月』(作詞)など。

1995年 丸木位里……昭和・平成期の日本画家。代表作 丸木俊(妻)との合作『原爆の図』。


● 過去のマイブログ「10月19日」のテーマ

2015年 「荒城の月」 の土井晩翠
島崎藤村と並ぶ国民的詩人として「藤晩時代」といわれた土井晩翠(どい ばんすい)が、1952年に亡くなった日です。晩翠は、英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳しています。1871年、今の宮城県仙台市に、富裕な質屋の長男として生まれた土井晩翠(本名・林吉)は、和歌や俳句、読書を好んだ父や祖母の感化を受け、小学生のころから『水滸伝』『三国志』『十八史略』や『新体詩抄』を愛読するなど……。

2012年 「おもしろ古典落語」90回目 『クモ駕籠(かご)』
むかしの街道には、駕籠をかつぐ「くも助」というのがいました。なぜこんな名がついたかといいますと、住んでいるとこが決まっておらず、今日は東、今日は西と、浮雲のようにフワフワしているからという人と、所どころに網を張ってお客をつかまえるから、ちょうど虫のクモのようだという人がいますが、どちらが正しいか、こんどクモにあったら聞いてみてください。「ええー、駕籠、駕籠はいかがですか」「今日はまだお客さんがありません。ひとつ乗ってくださいよ……。

2011年 「おもしろ古典落語」44回目 『てれすこ』
むかし長崎の浜辺で、珍しい魚が1ぴき捕れましたが、漁師が大勢集まっても、だれひとり名前を知ってる者がいません。これから先、困るだろうと奉行所に聞きに行きました。専門家の漁師がわからないものを、侍がわかるわけはなく、古い書物を調べても出ていないため、その魚の姿かたちを紙に写しとりまして、高札を立てました。『このたび、かような珍魚がとれた。この魚の名を存じうるものは申しいでよ。ほうびとして金百両をつかわすものなり』 このうわさを聞いて……。

2010年 『ガリバー旅行記』 とスウィフト
『ガリバー旅行記』などを著した諷刺作家、随筆家のスウィフトが、1745年に亡くなった日です。1667年、ジョナサン・スウィフトがアイルランドのダブリンに生まれたとき、父はすでになく、母からも捨てられ、おもに伯父の手で(本人いわく)「犬のように」育てられました。ダブリンのカレッジに入学したものの、怠惰な学生で、卒業して学位をとれたのもやっとのことでした……。

2007年  中国近代文学の父・魯迅
20世紀初頭の旧中国のありかた・みにくさを鋭く批判した「狂人日記」「阿Q正伝」を著した魯迅が、1936年に亡くなった日です。中国近代文学の父とたたえられている魯迅は、1881年、中国東部の浙江省で生まれました。本名は周樹人といいました。魯迅は、小説を書くようになってからの、ペンネームです。10歳をすぎるまでの魯迅は、家が豊かなうえに、理解ある両親や祖父にかこまれ、たいへんしあわせでした。絵本を読むことと、絵本の絵を写して楽しむことがすきな少年でした。ところが、12歳のとき、とつぜん祖父が牢獄につながれ……。

2006年 「チャップリン」 のこども時代
チャップリンの両親はまずしい旅芸人でしたが、チャップリンが6歳のときに父が亡くなり、7歳のときには、母が苦しい生活のために精神病にかかって、ときどき、病院へ入院するようになってしまいました。母が入院しているとき、あとにのこされたのは、チャップリンと兄のシドニーのふたりきりです。チャップリンは、母のことを思うと悲しくて、あしたの生活のことを考えると心ぼそく、小さなアパートの屋根裏の暗い部屋で、兄を見つめながら涙をながしました。はじめのうちは、アパートの管理人のおばさんが……。

2005年  小型本の価値
有吉忠行氏の講演記録4回目より ━━ 子どもの出版界のことについて、すこし申しあげてみます。おそらく、いずみ書房の小型の本を持って各家庭をまわられると、多くのお母さんが、小さい本ですねという意味をふくめて 「かわいい本ね」 と、いわれると思います。そして、この 「かわいい本ね」 という言葉の裏側に、「小さいのに値段は高いわね」 という無言の言葉を感じとられるのではないかと思います。しかしこれは、お母さん方が子どもの小型の本になれていないし、本の定価の根拠もご存じないからです……。
投稿日:2017年10月19日(木) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)