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2017年版 10月1日はこんな日


● 今日(10月1日)の主なできごと

1948年 赤い羽根募金……募金をすると赤い羽根がもらえることから「赤い羽根」とよばれている共同募金。毎年10月1日から12月31日までの間、主に各市町村の共同募金支分会を経由して自治会や学校、企業で募金を募り、社会福祉に役立たれている。

1949年 中華人民共和国成立……第2次世界大戦中、共産党の毛沢東は国民党の蒋介石と力を合わせて、日本との戦争に勝利した。ところが蒋介石はアメリカと組んで共産党をしりぞけようとしたため、3年にわたる内戦がはじまった。その結果、蒋介石は台湾に逃れ、この日毛沢東を主席とする新しい中国(中華人民共和国)が生まれた。中国の人たちはこの日を「国慶節」(建国記念日)と決めて、毎年にぎやかなお祭りを行なう。

1964年 東海道新幹線開業……10月10日にはじまる「東京オリンピック」に間に合わせるため、この日開業。それまで東京─大阪間は特急で6時間50分かかっていた時間を3時間も短縮した。


● 今日の主な記念日・恒例日

衣替え/更衣……気候に合わせて、衣服を冬服に替える日。平安時代から宮中で始った「更衣」の行事が一般化したもので、江戸時代から、衣替えは6月1日と10月1日に行うようになり、明治以降の官庁・企業等もそれに従った。

法の日……1928年のこの日、「陪審法」が施行されたことにちなみ、法務省が1960年に制定した記念日。

その他の記念日……印章の日・土地の日・コーヒーの日・日本茶の日・日本酒の日・醤油の日・ネクタイの日・デザインの日・メガネの日・香水の日・展望の日、浄化槽の日・食文化の日などがある。


● 今日生まれた人

1865年 デュカス……フランスの作曲家。代表作『アリアーヌ』『魔法使いの弟子』『アリアーヌと青ひげ』など。

1899年 川口松太郎……昭和期の小説家・劇作家・演出家。代表作『明治一代女』『愛染かつら』『新吾十番勝負』『しぐれ茶屋おりく』など。

1907年 服部良一……作曲家。代表作『別れのブルース』『湖畔の宿』『東京ブギウギ』『青い山脈』など。

1911年 椎名麟三……昭和期の小説家・劇作家。代表作『重き流れのなかに』『邂逅』『懲役人の告発』など。

1924年 乙羽信子……昭和・平成期の女優。宝塚歌劇団出身。『愛妻物語』などの映画、『おしん』などのテレビドラマ他、名女優の一人。


● 今日亡くなった人

1555年 陶晴賢……戦国時代の武将。「厳島の戦い」で毛利元就に敗れ自害。

1600年 石田三成……安土桃山期の武将。「関ヶ原の戦い」に敗れ六条河原で処刑。

1600年 小西行長……安土桃山期の大名。「関ヶ原の戦い」に敗れ六条河原で処刑。

1979年 水谷八重子(初代)……大正・昭和期の女優。『青い鳥』などの舞台、『浪子』などの映画他、演劇界中心に重きをなす。

1990年 ルメイ……アメリカの軍人。「太平洋戦争」で日本の焦土化作戦立案・実行。

2001年 古今亭志ん朝 (3代目)……昭和・平成期の落語家。古今亭志ん生(5代目)次男。若手落語家「東の志ん朝・西の枝雀」と称された。


● 過去のマイブログ「10月1日」のテーマ

2015年 「和製ポップス」 の服部良一
『別れのブルース』『湖畔の宿』『東京ブギウギ』『青い山脈』など、戦前から戦後に数多くのヒット曲を連発させ「和製ポップス」の道を切り拓いた作曲家の服部良一(はっとり りょういち)が、1907年に生まれた日です。大阪・天王寺に土人形師の子として生まれた服部良一は、芸事好きの家族の影響を受け、高等小学生のころから音楽の才能を発揮しましたが……。

2014年  日本演劇界をリードした水谷八重子
大正時代から晩年までトップ女優として演じ続け、杉村春子、山田五十鈴とともに3大女優と讃えられた水谷八重子(みずたに やえこ)初代が、1979年に亡くなった日です。1905年、東京神楽坂に時計商の次女として生まれた水谷(本名・松野)八重子は、生まれてまもなく、姉が作家の水谷竹紫(ちくし)と結婚し、5歳のときに父が亡くなったため、八重子は母とともに……。

2013年 「西国無双の侍大将」 陶晴賢
戦国時代の武将で、主君の大内義隆をほろぼした陶晴賢(すえ はるかた)が、1555年に亡くなった日です。1521年、中国地方西部の周防・長門・石見・豊前を治める戦国大名・大内氏の重臣・陶興房の子として生まれた晴賢(初めの名・隆房)は、子どものころから美男子として知られ、主君の大内義隆にかわいがられて育ち、1539年に陶氏の家督をつぎました……。

2012年  加藤清正と対立した小西行長
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、キリシタン大名として知られる小西行長(こにし ゆきなが)が、1600年に斬首された日です。泉州堺(今の大阪堺市)の薬種問屋の子として1558年前後に生まれた小西行長は、父の影響を受けて若い頃にキリシタンになりました。宇喜多直家の家臣となり、1581年に直家が死去すると、羽柴(豊臣)秀吉の家臣として仕えました……。

2010年  フラナガン神父と 「共同募金」
この日は、募金をすると赤い羽根がもらえる「赤い羽根共同募金」がスタートする日です。日本にこの共同募金がはじまったのは、GHQ総司令官のマッカーサーが、フラナガン神父の名で知られる聖職者を1947年に日本に招き、戦後日本の戦災孤児や、中国大陸や満州から引き上げてきた孤児たちをどのように指導したらよいかについて、助言を求めたことがきっかけでした……。

2008年  関ヶ原の戦いに敗れた武将・石田三成
豊臣秀吉の家臣で、秀吉の死後徳川家康と覇権を争い、関ヶ原の戦いに敗れた石田三成(みつなり)が、1600年に亡くなった日です。大きな茶わんで、3ばいめの茶をゆっくり飲み終えた豊臣秀吉は、たいへん満足そうに言いました。「なかなかの手並みじゃ。それぞれに茶も違ったようじゃが」 このころ、すっかり茶の湯にこっていた秀吉は、自信をもっていいました……。

2007年  東洋のルソー・中江兆民
フランス革命の精神的導きをしたことで名高いルソーらに学び、自由民権思想を広めた明治期の思想家・中江兆民が、1847年に生まれたいわれた日(11.1説有力)です。明治時代にわきおこった自由民権運動の、理論の面での指導者としてあおがれたのが、中江兆民です。兆民は、江戸時代の終わりころ、土佐藩(高知県)の下級武士の家に生まれました。幼いときから学問をこころざし……。
投稿日:2017年10月01日(日) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)