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2017年版 9月13日はこんな日


● 今日(9月13日)の主なできごと

1587年 秀吉が聚楽第に移る……九州征伐を終えた豊臣秀吉はこの日、大坂城から京都の平安京大内裏跡に建設した聚楽第に移り住んだ。政庁を兼ねた武家の城郭と貴族の邸宅をあわせもつ造りで、東西440mもある壮大な敷地には堀がめぐらされ、周囲には、各大名の屋敷が配置されていた。しかし、1591年12月に秀吉は、家督および関白職を甥の豊臣秀次に譲ったあと聚楽第は秀次の邸宅となり、1595年7月には、秀次を高野山に追放して切腹させ、翌8月以降、徹底的に破壊したため、不明な点が多い。

1912年 乃木希典夫妻が明治天皇に殉死……明治天皇御大葬のこの日、日露戦争の勝利に貢献した乃木希典大将と静子夫人が自宅で殉死した。自宅のあった場所には、乃木神社が建てられている。


● 今日の主な記念日・恒例日

世界の法の日……1965年、9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、9月13日を「世界の法の日」とすることが宣言された。この日とは別に、日本では1960年から10月1日も「法の日」としている。


● 今日生まれた人

1733年 杉田玄白……江戸時代中・後期の蘭方医。人体解剖書のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』という医学書を、苦労の末に『解体新書』に著す。

1900年 大宅壮一……昭和期のジャーナリスト・評論家。「一億総白痴化」「駅弁大学」「男の顔は履歴書」「恐妻」など、造語名人。

1931年 山田洋次……昭和・平成期の映画監督・脚本家。代表作『男はつらいよ』シリーズ『幸福の黄色いハンカチ』など。


● 今日亡くなった人

1592年 モンテーニュ……フランスの思想家。代表作『随想録』。

1912年 乃木希典……明治期の陸軍軍人。陸軍大将。

1971年 林彪……中国の軍人・政治家。ソ連へ逃亡中に墜落死。

1975年 棟方志功……昭和期の版画家。


● 過去のマイブログ「9月13日」のテーマ

2013年  [おもしろ民話集 99] 手まね問答
むかし、ローマ法皇の命令で、えらい司教がいろいろな国の修道院を視察にまわっていました。あるいなかの修道院に、司教がもうすぐ到着するという知らせがとどくと、年老いた院長は、顔色を変えました。この司教は大変な賢者である上に議論にすぐれ、しかも手まねで議論するといううわさでした。その手まねにうまく対応できない修道院は、日ごろの精進が疑われるといわれていたからです。「神父のみなさん、どうじゃろう。どなたでもよろしいので、司教さまの問答のお相手を引き受けてくれる人は、名乗り出てくれませんかな……。

2012年 「おもしろ古典落語」85回目 『もう半分(はんぶん)』
江戸の隅田川の永代橋のたもとに、夫婦二人きりの小さな居酒屋がありました。「こんばんは」「やぁ、おいでなさい八百屋さん。こん夜は、ずいぶんと遅うございますな」「へぇ、ちょっと用足しに手間取りましてな。こちらの前を通ると、もうがまんができなくて入ってきたんですよ。すみませんけど、いつもの通り、半分いただかせてもらいたいんで」「ええ、よろしゅうがす、どうぞ」「へへぇ、ありがとうござい…、うまいですね、こちらのお酒は、うまくって安いときてる。ほんとは飲まないつもりだったんですがね……、へぇ、もう半分……。

2011年  悲劇の中国指導者・林彪
中国共産党の軍事指導者だった林彪(りん ぴょう)が、毛沢東の後継とされながらも、毛との路線の違いからクーデターをおこして失敗、1971年にモンゴル国境付近で墜落死した日です。1907年に湖北省の工場主の子として生まれた林彪は、広州の軍人を養成する学校を優秀な成績で卒業後、1923年に中国社会主義青年団に参加し、中国共産党に入党しました。1932年には、第一軍団司令となって、井崗山で毛沢東に合流、1万2千kmにおよぶ長征にも参加……。

2010年  乃木希典の殉死
陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ)が、静子夫人とともに、1912年に自殺した日です。遺体のそばに、崩御してまもない 明治天皇 の写真がおかれ、遺書の内容から「殉死」であることが判明し、当時の国民に大きな衝撃を与えました。乃木希典は、1879年長州藩(山口県)の武士の子として生まれました。16歳のときに伯父の玉木文之進の教えを受け、玉木が吉田松陰の門下であったため、間接的に松陰の影響を受けました……。

2007年  随想録を著わしたモンテーニュ
世界的な名著 「随想録」の著者として、400年以上たった今も高く評価されているフランスの思想家モンテーニュが、1592年に亡くなった日です。フランスの思想家、モンテーニュの『随想録』(エセー)は、哲学としても文学としてもすぐれた作品です。豊富な知識と、モンテーニュ自身の生活体験によって書かれたもので、人間の心をするどくみつめています。人間性と人間の生き方を探求したモラリストの文学として、近代の文芸や思想に……。

2006年 「シートン」 のこども時代
父が仕事に失敗して、シートンは5歳のとき、家族といっしょにイギリスから大西洋をこえて、カナダへやってきました。そして、森で、開拓者の生活をはじめました。でも、森をきりひらく仕事は、父と母にはきびしすぎて、わずか4年で、家族はトロント市へ引っ越しました。ところが、まいにち、友だちとけんかをするわんぱくなシートンには、たくさんのいろいろな動物といっしょでたのしかった、森の生活がわすれられません……。

2005年 「かがくしつもんばこ」 の内容
「こども科学図書館」の「かがくしつもんばこ」は、どんな質問が入っているのかという問い合わせに回答します。[1巻目] なぜ日にやけると黒くなるの?/しゃっくりはどうしてでるの?/お母さんはどうしてお風呂へいれたがるの?/タマネギを切るどうして涙がでるの?/どうして左ききの人がいるの?/人によって皮膚や髪の毛や目の色がちがうのはなぜ?/お母さんから生まれたのにどうしてお父さんに似ているの?/くしゃみや鼻水はどうしてでるの?/ウソをつくとどうしてウソ発見器でわかるの?/耳や目が2つあるのはなぜ?/おならやゲップがでるのはなぜ?/おなかがすくとグーグーなるのはなぜ? 等々…。
投稿日:2017年09月13日(水) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)