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2017年版 9月11日はこんな日


● 今日(9月11日)の主なできごと

1900年 初の公衆電話設置……それまでは電話局にのみおかれた公衆電話が、この日東京の新橋駅と上野駅の通路に設置された。当時は交換手を呼びだしてからお金を払って、相手を呼びだしてもらうしくみだった。

1947年 教科書の検定制度……1886年の「小学校法令」で国定教科書(政府が定めた教科書)が使用されてきたが、この日教科書検定制度を発表、文部省が認めたものだけを教科書に採用することになった。この検定制度は憲法違反に当たると、家永三郎は国を相手に裁判をおこしたが、32年間にもわたる審議の結果、1997年に敗訴が確定した。

2001年 同時多発テロ事件……アメリカでハイジャックされた旅客機3機が、ニューヨークの世界貿易センタービル(ツインビルに各1機)とワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突入、数千人の死者を出す大惨事となった。ブッシュアメリカ大統領は、この犯人をウサマ・ビンラディンを首謀者とするイスラムのテロ組織アルカイダと断定し、潜伏するアフガニスタン政府に引渡しを要求。しかし、彼らを保護するタリバン側が拒否したことから、アメリカはアフガニスタンを攻撃した。


● 今日の主な記念日・恒例日

警察相談の日……警察への電話相談番号「#9110」から、警察庁が1999年に制定。#9110に電話すると警視庁と各道府県警察本部に設置されている総合相談室につながり、この日に限らず1年中、各種事件の困りごとの相談に応じる。


● 今日生まれた人

1127年 後白河天皇……平安時代後期の第77代天皇。二条天皇に譲位後、5代34年にわたり院政を行う。源平の争いを中心とする政争・戦乱の陰の演出者。

1544年 竹中半兵衞……戦国時代から安土桃山期の武将・軍師。羽柴秀吉の参謀。

1854年 ナウマン……ドイツの地質学者。お雇い外国人で、日本の「近代地質学」の基礎を築く。フォッサマグナ発見。ナウマン象の名の由来。

1862年 オー.ヘンリー……アメリカの小説家。代表作『最後の一葉』『賢者の贈り物』『都会の敗北』『よみがえった改心』など。

1885年 D.H.ローレンス……イギリスの小説家・詩人。代表作『チャタレイ夫人の恋人』『息子と恋人』『虹』など。

1917年 マルコス……フィリピンの政治家。第10代大統領。20年間にわたる独裁後、1986年の「人民革命」に敗れ、ハワイに亡命。


● 今日亡くなった人

972年 空也……平安時代中期の僧。「浄土教」の先駆者。「踊念仏」の開祖。

1823年 リカード……イギリスの経済学者。「自由貿易を擁護する理論」提唱。

1843年 平田篤胤……江戸時代後期の国学者。荷田春満・賀茂真淵・本居宣長とともに国学四大人の一人。

1844年 近江屋甚兵衛……江戸時代後期の商人。江戸湾各地で「のり養殖」に成功。

1971年 フルシチョフ……ソ連の政治家。ソ連の第4代最高指導者。「スターリンの独裁と恐怖政治」を世界に暴露。

1973年 アジェンデ……チリの政治家。世界初の議会制民主主義に基づく「社会主義政権」大統領となるも、3年後のクーデターで殺害。

1976年 石橋正二郎……大正・昭和期の実業家。「ブリヂストンタイヤ」創業。

1979年 遠山啓……昭和期の数学者・教育家。「水道方式」という数学の学び方を開発。

1985年 夏目雅子……昭和期の女優。『鬼龍院花子の生涯』『おんな太閤記』など、映画やテレビドラマで活躍するも、「急性骨髄性白血病」で死去(27歳)。

1985年  赤尾好夫……昭和期の出版人・放送人。「旺文社」「文化放送」「日本教育テレビ(今のテレビ朝日」)創業。『赤尾の豆単』発行。

2010年 谷啓……昭和・平成期の俳優・タレント・ミュージシャン。「ガチョーン」「谷だァ!」など、クレージーキャッツ時代にギャグやコントで活躍。


● 過去のマイブログ「9月11日」のテーマ

2015年 「海苔の養殖」と近江屋甚兵衛
江戸時代後期に、江戸湾各地での海苔(のり)養殖に成功した近江屋甚兵衛(おうみや じんべえ)が、1844年に亡くなった日です。1766年、江戸四谷に生まれた甚兵衛は、海苔商人の店に奉公し、その経験を生かして海苔の仲買人となりました。当時、海苔の養殖所は江戸の大森近辺しかなく、そのため海苔の売買は大森付近の問屋が独占していました……。

2014年 「ブリヂストン」 の石橋正二郎
「ブリヂストンタイヤ」を創業し、日本を代表する企業へと発展させた実業家の石橋正二郎(いしばし しょうじろう)が、1976年に亡くなった日です。1889年、今の福岡県久留米市に仕立屋の子として生まれた石橋正二郎は、1906年に久留米商業を卒業後、兄の重太郎とともに家業を継ぎました。しかし、兄が徴兵されたことで、職人的な技能に頼る仕立物の将来に……。

2013年  クーデターに倒れたアジェンデ
チリの政治家で、世界で初めて議会制民主主義に基づき社会主義政権をうちたてたアジェンデが、政権樹立3年後の1973年、クーデターにより死去した日です。1908年、チリの首都サンチャゴに近い港町バルパライソに生まれたサルバドール・アジェンデは、チリ国立大学医学部在学中から積極的に学生運動に参加、反政府活動をしたことで、一時停学処分を受けて投獄……。

2012年 「阿弥陀聖(ひじり)」 空也
平安時代中期の僧で、浄土教の先駆者とされる空也(くうや/こうや)が、972年に亡くなった日です。空也は、当時の仏教のほとんどが貴族のためのものだったのを、一般庶民に「南無(なむ)阿弥陀仏」の名をとなえて祈る「念仏」を広めたことから「阿弥陀聖(あみだひじり)」と讃えられています。空也は、903年ころ醍醐天皇の皇子、仁明天皇の孫として生れた……。

2008年 資本主義国との共存をめざしたフルシチョフ
ソ連の政治家で、資本主義国と平和共存を図ったことで知られているフルシチョフが、1971年に亡くなった日です。フルシチョフは、スターリンの死後、ソ連の最高指導者となり、スターリン批判によって、その独裁と恐怖政治を世界に暴露して世界に衝撃を与えたことも特筆されます。1894年に、ウクライナの炭鉱労働者の家に生まれ、初等教育を終えると……。

2007年  [おもしろ民話集 13] やさしくなった大男
むかし、あるところに、意地の悪い大男がすんでいました。でも、その大男の家の庭には、春になると美しい花がいっぱいに咲きました。あるときのこと、大男は遠くの町へでかけて、家をるすにしました。するとそのあいだに、おおぜいの子どもたちがやってきて、美しい庭で、楽しくあそびました。ところが、町からかえってきた大男は、これを見ると、たいへんおこりました……。

2006年 「キュリー夫人」 のこども時代
キュリー夫人 (27歳でピエール・キュリーと結婚) は、子どものころの名をマーニャといいました。理科の教師を父に、5人きょうだいの末っ子として生まれたマーニャは、小さいときから、兄や姉たちのあたたかい愛情につつまれて成長しました。なかでも、なによりも好きだったのは、いちばん上の姉のソーシャから、お話をしてもらうこと。感受性が強く記憶力に……。
投稿日:2017年09月11日(月) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)