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2017年版 10月14日はこんな日


● 今日(10月14日)の主なできごと

1867年 大政奉還……江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜は明治天皇に、統治権を返上することを申し出た。

1872年 日本初の鉄道開通……東京・新橋と横浜間の29kmに、わが国初の鉄道が開通した。この日を記念して国鉄(今のJR)は、1922年から「鉄道記念日」として制定。1992年、運輸省(今の国土交通省)は「鉄道の日」と改め、私鉄も含め、全国各地で鉄道に関する行事を行っている。


● 今日の主な記念日・恒例日

PTA結成の日……1952年のこの日、PTAの全国組織、日本父母と先生全国協議会(今の日本PTA全国協議会)が結成されたことにちなむ記念日。


● 今日生まれた人

1633年 ジェームズ2世……イギリス国王。議会と対立し、「名誉革命」によりフランスへ亡命。

1835年 小松帯刀……幕末期の薩摩藩重臣。薩長同盟結成に尽力。

1857年 陸羯南……明治期のジャーナリスト・政治評論家。日本新聞主筆兼社主。

1890年 アイゼンハワー……アメリカの軍人・政治家。第二次世界大戦では連合軍最高司令官として「ノルマンディー上陸作戦」を指揮。第34代米大統領。


● 今日亡くなった人

1762年 安藤昌益……江戸時代中期の医師・思想家。主著『自然真営道』は、共産主義や農本主義、エコロジーに通じる考え。

1945年 本居長世……大正・昭和期の作曲家。代表作 童謡『青い眼の人形』『十五夜お月さん』『七つの子』など。

1953年 徳田球一……大正・昭和期の政治家。戦前の非合法時代より戦後初期まで日本共産党の代表的活動家。獄中18年、初代日本共産党書記長。亡命先の北京で客死。

1982年 天野芳太郎……大正・昭和期の実業家。アンデス文明研究家。


● 過去のマイブログ「10月14日」のテーマ

2015年  「アンデス文明研究」 と天野芳太郎
ペルーのリマに、自ら収集した古代アンデス文明遺物をもとにした「天野博物館」を、私財を投じて開設した実業家の天野芳太郎(あまの よしたろう)が、1982年に亡くなった日です。1898年、今の秋田県男鹿市に生まれた天野芳太郎は、地元の高等小学校に在学中、父の仕事の都合で函館に渡ったとき、函館の遺跡から4千年も前の石器を発見したことで、考古学に関心をいだきました。その後、1916年に……。

2014年 『青い眼の人形』 の本居長世
童謡『青い眼の人形』をはじめ『七つの子』『赤い靴』『十五夜お月さん』『めえめえ小山羊』など、今も親しまれる歌をたくさん作曲した本居長世(もとおり ながよ)が、1945年に亡くなった日です。1885年、東京御徒町に生まれた本居長世は、生後1年で母と死別。養子だった父が家を出たため、国学者の祖父に育てられました。やがて音楽家を志すようになり、1908年東京音楽学校(のちの東京芸術大)を首席で卒業すると……。

2011年  忘れられた思想家・安藤昌益
江戸時代中期の思想家で、農業エコロジーの先駆者といわれる安藤昌益(あんどう しょうえき)が、1762年に亡くなった日です。安藤昌益の生涯については、いまなお不明なところが多いのが実情です。というのも、その存在は1899年ごろ、哲学者狩野亨吉が注目するまで、全くといってよいほど世間に知られていませんでした。そして太平洋戦争後、カナダの外交官で日本史研究家E.H.ノーマンの著書「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」などの影響で、身分制度を根本から批判した思想家として世界的に……。

2010年  大政奉還
江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜が、1867年明治天皇に、統治権を返上することを申し出た日です。江戸幕府の大老・井伊直弼が、1860年3月におこった「桜田門外の変」で暗殺されると、これまで彦根・紀伊グループに押されていた、薩摩・越前・水戸など「公武合体派」が勢力を盛り返してきました。「公武合体」とは天皇をかつぎだして幕府の実権を大藩の手ににぎろうとする考えのことです。そして、1861年から62年にかけて、孝明天皇の妹である和宮を、14代将軍家茂の夫人として……。

2008年  盲犬モカの楽しみ発見 その3
初泳ぎの翌朝のこと。散歩中に、かゆいのか痛いのか、キャンキャンいいながら、地べたに座りこんだり、しっぽの辺りを噛みついたり、のたうちまわるのです。ノミに刺されたところが、ただれでもしたのかと思って調べてみると、ややや、まだノミの残党がウロウロしているではありませんか。すぐに、2度目の風呂入れ作戦に出ました。今回は、最初から浴槽を満水にして、一気にモカをお湯の中に入れ、泳がせてみることにしました……。

2005年 「重読書」 から 「軽読書」 へ
「全国学校図書館協議会」編集部長を歴任し、その後フリーライター、作家として活躍しておられた有吉忠行氏の講演@より ━━ まずはじめに、いまの子どもたちの読書状況について、かんたんに申しあげてみます。私が4、5年前までつとめておりました全国学校図書館協議会では、20数年来、毎日新聞社といっしょに読書調査を行ってきておりますが、この調査結果によりますと、マンガや週刊誌をのぞいた1ヵ月の平均の読書量は、小学生が5冊、中学生になるとわずかに2冊です……。
投稿日:2017年10月14日(土) 05:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)