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2017年版 10月23日はこんな日


● 今日(10月23日)の主なできごと

1873年 征韓論争勃発……朝鮮への派兵をめぐって、この日政府内に激しい論争がおこった。西郷隆盛や板垣退助らは鎖国を続ける朝鮮を武力で開国させようと主張したのに対し、岩倉具視や大久保利通らが内政を優先させることが先決とこれに反対。結局、西郷と板垣らは論争に敗れて、翌日要職を辞任して政府を離れた。

1973年 オイルショック……10月はじめに第四次中東戦争が勃発。石油輸出国機構(OPEC)に加盟しているペルシア湾岸産油6か国は、原油公示価格の21%引き上げ、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸をこの日に発表、第1次オイルショックの引き金となった。日本では、原油価格と直接関係のないトイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動がおきたり、デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生するなど、高度成長にストップがかかる事態に陥った。


● 今日の主な記念日・恒例日

電信電話記念日……1869年、新暦のこの日、東京〜横浜で公衆電信線の建設工事が始まったことにちなみ、電気通信省(のちの電電公社、今のNTT)が1950年に制定。


● 今日生まれた人

1760年 華岡青洲……江戸時代中・後期の外科医。独自に「麻酔術」を開発し、世界初の全身麻酔に成功。 

1849年 西園寺公望……明治・大正・昭和期の貴族政治家。第12・14代首相。最後の元老。外相・文相歴任。

1871年 土井晩翠……明治・大正・昭和期の詩人・イギリス文学者。代表作『天地有情』(詩集)『荒城の月』(作詞)など。


● 今日亡くなった人

1276年 北条実時……鎌倉時代中期の武将。「金沢文庫」創立。

1669年 シャクシャイン……江戸時代前期のアイヌ民族首長。松前藩へ蜂起(シャクシャインの戦い)するも敗退。

1888年 三島通庸……幕末の薩摩藩士、明治期の内務官僚。山形県令・福島県令・栃木県令・警視総監歴任。

1946年 シートン……イギリス出身の博物学者・作家・画家。代表作『動物記』。


● 過去のマイブログ「10月23日」のテーマ

2015年  シャクシャインの戦い
江戸時代前期のころ、蝦夷地(今の北海道)日高地方に勢力を誇っていたアイヌ民族の首長シャクシャインが松前藩へ蜂起し、1669年に亡くなった日です。江戸時代、アイヌ民族が多く住む蝦夷地は、松前藩に治められていました。特に日高地方は、比較的早くから和人が入り込んでいた地域で、シベチャリ(今の静内川下流地方)のアイヌと、ハエ(今の沙流川下流地方)のアイヌが……。

2014年 「鬼県令」 三島通庸
山形、福島、栃木の各県令を歴任し、警視総監となって「保安条例」の執行を指揮して、自由民権派に憎悪された三島通庸(みしま みちつね)が、1888年に亡くなった日です。1835年、薩摩(鹿児島県)藩士の長男として生まれた三島通庸(幼名・弥兵衛)は、少年のころから示現流剣術や兵学を学び、1862年には有馬新七らの寺田屋事件にかかわって謹慎を命じられるものの……。

2013年 「金沢文庫」 の北条実時
鎌倉時代中期・北条一門の武将として第4〜8代執権をささえた北条実時(ほうじょう さねとき)が、1276年に亡くなった日です。1224年、鎌倉3代執権北条泰時の弟実泰の子として生まれた北条実時は、1233年に泰時のはからいで11歳で元服し、出家した父にかわって将軍身辺を警護する小侍所別当となりました。若年を理由に反対の声があったものの、泰時は……。

2012年 『動物記』 のシートン
イギリス出身の博物学者・作家でボーイスカウト運動にも貢献したシートンが、1946年に亡くなった日です。アーネスト・シートンは1860年、イングランド北東部にある港町サウスシールズに12人兄弟の末っ子として生まれました。商人だった父の事業の失敗から、シートンが5歳の時にカナダに移住し、オンタリオ州のリンゼーの町から6キロも離れた森林で……。

2008年  リベラルな元老政治家・西園寺公望
自由主義思想を支持し、2度総理大臣になるなど、明治・大正・昭和の3代にわたり活躍した政治家西園寺公望(さいおんじ きんもち)が、1849年に生まれた日です。1919年(大正8年)、第1次世界大戦の講和会議が、パリで開かれました。このとき、日本の首席全権として、すぐれた外交手腕を発揮したのが、西園寺公望です。公望は、ペリーが浦賀に……。

2007年   [おもしろ民話集 19] 農夫の医者
むかし、あるところに、一人の金持ちの農夫がすんでいました。何不自由なく暮らしていましたが、まだ奥さんがありません。そこで、友だちにすすめられるままに、ある貧しい騎士の美しい娘を、奥さんにもらいました。ところが、農夫はまもなく心配しだしました。(騎士の娘が農夫の女房になりきれるかな。おれが畑に出ている間に、だれかが言いよるかもしれない……。

2006年 「スチーブンソン」 のこども時代
スチーブンソンの父は、炭鉱の坑内にわきだす水を外にくみだす蒸気機関の、かまたきでした。家は、1軒の家に、よその3家族といっしょに住まなければならないほど貧乏でしたから、スチーブンソンは学校へも行かせてもらえません。学校へ行くどころか、友だちと遊びたいのもがまんしてもはたらかなければなりませんでした。少年スチーブンソンの仕事は……。
投稿日:2017年10月23日(月) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)