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『無原罪の宿り』 のムリーリョ

今日4月3日は、『無原罪の宿り』 など甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られる、スペインバロック絵画の黄金期を築いた画家ムリーリョが、1682年に亡くなった日です。

1617年、スペイン南部のセビリャに14人兄弟の末子として生まれたバルトロメ・ムリーリョは、幼いころから絵が上手でしたが、10歳のころに両親を次々に亡くし、孤児となってからは絵を描いて生計を立てるようになったと伝えられています。

1642年に郷里の先輩である ベラスケス を頼ってマドリッドに出ると、その紹介でスペイン宮廷所蔵のティツィアーノやルーベンス、バン・ダイクらの名画の数々にふれ、深い感銘を受け、地方画家から大きく転身するきっかけになりました。しかし、ベラスケスが宮廷画家として、宮廷の人々を描いたのに対しムリーリョは、カルロス2世の招きをことわって、郷里セビリャにもどって活躍しました。

ムリーリョの初期の作品は、どちらかというと暗く冷たい感じの作品が多かったのに対し、やがてスティロ・バポローソ(薄もや様式)といわれる夢幻的な作風に変わって、夢見る乙女のようなマリア像とマリアを取り巻く小天使たちを描いた代表作『無原罪のお宿り』(下の絵・プラド美術館蔵)『聖母子』など一連の宗教画を描くいっぽう、『ノミをとる少年』など暖かい眼で子どもを描いた絵や、道端にたたずむ浮浪児や、庶民の生活する素朴な姿などを多数残し、一般民衆の人気の的となりました。そのきっかけは、わが子を5人もペストで失い6人目の娘も耳がきこえなかったことで、その哀しい思いを、数々の絵に精魂をこめたからに他なりません。

Murillo.jpg

1860年には、セビリャの絵画アカデミーの創立に加わり、その院長として多くの弟子を育てましたが、1982年にセビリャの寺院の壁画を制作中に足場から転落して、65年の生涯を閉じました。

ムリーリョの作品は、次の世紀のロココ美術を先取りしているといわれ、18世紀のスペイン独立戦争のころはフランスの将軍たちによる略奪の対象となるほどでしたが、20世紀に入ると絵の大半が甘美で感傷的という理由で人気は急速に落ちました。しかし1980年代に入ると、デッサン、色彩、構図などが再評価されるようになり、いちやく人気が高まっています。


「4月3日にあった主なできごと」

604年 十七条の憲法…聖徳太子は、仏教や儒教に基づくきまりや道徳を示した「十七条の憲法」を制定しました。

1673年 隠元死去…江戸時代の初期に禅宗の流れをくむ「日本黄檗宗」を開き、インゲン豆を日本に伝えたとされる中国の僧・隠元が亡くなりました。

1897年 ブラームス死去…交響曲や協奏曲の大作や『ハンガリア舞曲集』などを作曲し、バッハ、ベートーベンととともにドイツの3大Bといわれるブラームスが亡くなりました。

投稿日:2012年04月03日(火) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)