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国難を救った北条時宗

今日4月4日は、鎌倉幕府第8代執権で、はるかに国力の勝る元(中国・モンゴルを含む大帝国)の2度にわたる襲来を退けた北条時宗(ほうじょう ときむね)が、1284年に亡くなった日です。

1251年に第5代執権・北条時頼の長男として生まれた時宗は、生れた時から執権となることが約束されていました。14歳の時、執権を補佐する重職についた後に18歳で執権に就任したころ、元の皇帝フビライ・ハンが、元の属国となった高麗(朝鮮)を通じ、日本も属国となるように使者を送ってきていました。幕府内部の体制を整え、元の侵略に立ち向かうことを決めた時宗は、使者を追いかえし、九州の守護・地頭に沿岸の警備に当たらせ、中国や四国の御家人も九州へ移動させました。

日本が要求に従わないことに怒ったフビライは1274年10月、900の船に乗った元軍と高麗軍あわせて2万8000人という大軍は、対馬と壱岐を攻めて島民を虐殺、その勢いのまま博多湾に攻め寄せてきました。大苦戦の日本軍でしたが、20日の夜、北九州に激しい風雨が襲い、元軍は嵐におそれをなして朝鮮へ引きあげたのでした。(文永の役)

その後、元は2度にわたって使者を送ってきましたが、時宗は博多でこれを切り殺させ、かたい決意を示しました。しびれをきらしたフビライは1281年6月はじめに、東路軍900隻4万の大軍で博多湾に再来しましたが日本軍はよく戦って、月末までにこれを撃退しました。ところがこんどは江南軍3500隻10万、あわせて14万もの大軍となって、いよいよ上陸をはじめようとしたとき、またもや大暴風雨がおこり、連合軍の船の大半が沈没、朝鮮へもどれたのはわずか3〜4万人にすぎなかったといわれています。(弘安の役)

ところが、こうして国を救うことはできたものの元から賠償金がとれたわけでなく、莫大な資金を軍費につぎこんだために、手柄を立てた武士たちに褒美らしいものも与えられません。さまざまな困難をかかえたまま、時宗は34歳の若さで亡くなってしまいました。

国難の時代を生き、後世に「救国の英雄」と称される時宗ですが、これほど消耗しながら元と戦う必要があったのか、元と和睦することも選択肢の一つだったのではないか、「時宗の存在が日本のグローバル化を遅らせた」という歴史学者もあらわれています。

なお、時宗の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」22巻「北条時宗」をぜひご覧ください。


「4月4日にあった主なできごと」

1615年 大坂夏の陣…前年、大坂冬の陣で大坂城を攻め落とせなかった徳川家康は、講和を条件に外堀を埋めさせて防備が弱くなったところへ、諸大名の兵20万人を率いて攻め入り、落城させました。豊臣秀頼と生母淀君は自殺し、ここに豊臣家は滅びました。

1968年 キング牧師暗殺…アメリカの黒人指導者キング牧師は、白人による人種差別撤廃する法律を認めさせ、黒人の権利と自由を求める公民権運動を進めたことで、ノーベル平和賞を受賞したばかりでしたが、これに反発した白人により、この日演説中に暗殺されました。

投稿日:2012年04月04日(水) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)