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「外科学の父」 リスター

今日4月5日は、フェノールによる消毒法を開発し、たくさんの命を救ったイギリスの外科医リスターが、1827年に生まれた日です。

イングランド東部・エセックス州アプトンの酒商人の子として生まれたジョセフ・リスターは、少年時代から科学に興味を持ち、レンズを改良したり、自ら顕微鏡をこしらえるほどでした。やがてロンドン大学を卒業後、外科医の助手などをへて、1860年からグラスゴー大学の教師となりました。

当時のヨーロッパでは、パスツールが物が腐るのは細菌によることを発見、コッホによるさまざまな病原菌の発見、ハンガリーの産科医ゼンメルワイスがさらにそれを推し進めて、「医療者の汚染した手によって産じょく熱が伝染する」ことを発見しました。小さな手術でさえ術後に起きる「手術熱」と呼ばれる感染による死亡率が高いことに悩んでいたリスターはこれらに注目し、術後に化膿するのは細菌による汚染ではないかと考え、独自の消毒法を考えつきました。メスやピンセットはもとより、傷にふれる指や爪、敷布、ガーゼなどすべてに消毒薬フェノールをしたし、術後もその傷口を消毒しました。こうして傷は化膿することなく完治することがわかってきたため、1867年、たくさんの成功をおさめた症例を医学雑誌に発表しました。

しかし、リスターが無名であったことと、このやりかたをまねた外科医の成功例は少なく、あまり注目を浴びませんでした。それでもリスターは少しずつ臨床試験の結果を追加していき、フェノールを噴霧する方法を考案。1868年には動物の腸から作られた糸をクロム酸により処理した耐久性のある糸を開発。この消毒法と糸により無菌手術を実現しました。リスターの功績は認められ、1869年にはエジンバラ大学の教授に就任しました。

1877年、ロンドン大学の臨床外科の教授になり、すぐれた人格者で信仰のあついリスターの人柄は多くの人の尊敬を集め、上院議員にもなっています。1902年には、虫垂炎にかかったイギリス国王・エドワード7世はリスターを指名、まだ死亡率の高かった手術を成功させています。1912年に85歳で亡くなりましたが、盛大な国民葬で送られ、その遺体は、国王ら皇族や有名人の眠るウェストミンスター寺院に葬られています。


「4月5日にあった主なできごと」

1976年 四五天安門事件…中国の首都北京にある天安門広場で、1月に亡くなった周恩来をいたむためにささげられた花輪を撤去されたことに対し、民衆と警察が衝突、政府によって暴力的に鎮圧された「天安門事件」がおこりました。1989年6月4日に起きた「六四天安門事件」と区別するため、第1次天安門事件ともいいます。

1998年 明石海峡大橋…神戸と淡路島を結ぶ全長3911m、世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」が開通しました。四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋とともに、本州と四国を結ぶ3つのルートの一つとなっています。

投稿日:2012年04月05日(木) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)