今日6月20日は、音楽と喜劇を融合した喜歌劇(オペレッタ)の原型をこしらえた作曲家オッフェンバックが、1819年に生まれた日です。
ジャック・オッフェンバックは、ドイツに生れましたが、1833年にチェロを学ぶためにパリ音楽院に入学、卒業後まもなくパリ・オペラコミック座のチェロ奏者となりました。そのかたわらシャンソンの作曲をするうちに有名になり、1843年にテアトロ・フランセの楽長に就任、1855年には「ブック・パリジャン」という劇場を自ら作り、そこの座長になって、たくさんのオペレッタを上演して、人気を博すようになりました。
劇場をはじめてから3年後の1857年に、『天国と地獄』を上演したところ、大評判となって、オッフェンバックの名は世界中に知られるようになります。この作品は、実は18世紀オーストリアの作曲家ブルックが、ギリシア神話をもとにしたオペラ『地獄のオルフェウス』をもとにしたものです。ヨーロッパでは子どもたちでも知っている有名な物語を、面白おかしくオペレッタに作り上げたために、おしゃれでユーモアに富むパリの人々を、爆笑のうずに巻きこんだのでした。パリの華やかな「フレンチカンカンの踊り」といえば誰もが耳にしたことがあると思いますが、この曲も 『天国と地獄』序曲 の一部にあるものです。
オッフェンバックは1880年に亡くなるまでに、たくさんのオペレッタを次々に発表していきました。しかし、大衆の人気の裏で、知識人には眉をひそめる人も多く、作家のゾラは「オペレッタなどは、邪悪な獣のようになくなるべき存在」とまで書いています。
晩年は、あまりに内容が通俗的になったために、一時の人気を失いかけました。オッフェンバックは、オペラ『ホフマン物語』に新生をかけようとしていました。完成寸前、彼は病のためにこの世を去り、死後にギローが補作して1881年に上演。この作品は、オッフェンバック最大の傑作といわれています。劇中もっとも美しい場面で歌われるロマンチックな歌 『ホフマンの舟唄』 など、オッフェンバックを一流のオペラ作曲家として、音楽史にさんぜんと輝く存在に格上げしました。
なお、オッフェンバックのいくつかのオペレッタは、大正時代後期から戦前の浅草オペラで人気を呼び、特に「ジェロルスティン大公妃殿下」は、「ブン大将の唄」としてエノケンの歌で大ヒットしました。
「6月20日にあった主なできごと」
941年 藤原純友死去…瀬戸内海の海賊の首領として、武士による独立国家を関東に築こうとした平将門と通じ、朝廷軍を悩ませた藤原純友が、刑死しました。
1751年 徳川吉宗死去…江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した 徳川吉宗 が亡くなりました。
1837年 ビクトリア女王即位…イギリス史上65年という最長の王となり「大英帝国」の絶頂期を築いた ビクトリア女王 が即位しました。