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『剣の舞』 のハチャトリアン

今日6月6日は、プロコフィエフ、ショスタコビッチと並び、旧ソ連における作曲家3大巨匠の一人として活躍したハチャトリアンが、1903年に生まれた日です。

現・グルジア共和国の首都トリビシに、アルメニア人製本工の家に生まれたアラム・ハチャトリアンは、コーカサスやアルメニア地方に古くから伝わる民族的色彩の強い音楽に親しみながら育ちました。1921年に音楽家を志してモスクワに向かう途中の演奏会で、音楽の能力が認められ、翌年、グネシン音楽院でチェロと作曲を学んで卒業。1929年からはさらなるレベルアップをめざしてモスクワ音楽院に入学しました。作曲教授をしていたミャスコフスキーらから5年にわたる指導を受けました。この大学の指導方針が、「自分の属している民族のテーマを作品の中に発展させなさい」というものだったため、その教えにしたがって、1936年に『ピアノ協奏曲』、1940年に『バイオリン協奏曲』を発表して、名声を得るに至りました。

ハチャトリアンの名をわずか1、2年で世界的にしたのが1942年に発表した 『剣の舞』 でした。この曲は、アルメニアの国境に近い農場を舞台にしたバレエ音楽『ガイーヌ』の中の1曲です。レニングラード(現サンクトペテルブルク)で初演されて、大好評を博し、スターリン賞を受賞しています。ハチャトリアンは後に、このバレエ音楽の中から「第一組曲」「第一組曲A」「第二組曲」の3つの演奏会用組曲を作りましたが、『剣の舞』ではじまる「第一組曲」がもっとも人気が高く、今でも、その親しみやすいメロディと軽快なリズムは、単独で演奏されるだけでなく、アンコール曲、オーケストラ入門曲、映像BGMなどでも人気を保ちつづけています。

ハチャトリアンのもうひとつの人気曲はバレエ音楽 『仮面舞踏会』 です。仮面舞踏会とは、イタリアのベネチアで始まった仮面を付けることで自分の姿や身分・素性を隠して行われる舞踏会のことで、この作品はロシアの詩人レールモントフの悲劇をバレエ作品にしたものです。ハチャトリアンは、このバレエ音楽のうちから5曲を選んで、管弦楽のための「組曲」に再編成しました。そのうちの1曲 「ワルツ」 は、フィギアスケートの浅田真央が、イタリアのトリノで行われた世界選手権で優勝した時のSPスケーティングミュージックで、世界中の人々をとりこにしました。浅田は、大活躍した2009〜10年のたくさんの大会でもこの曲を使用していましたので、私たちには、特に身近に感じられるかと思います。

なお、ハチャトリアンは、1951年から母校のモスクワ音楽院の作曲教授となり、自作の指揮者、映画音楽を手がけるなど、たくさんの曲を遺して1978年に亡くなりました。1963年には来日して、結成したばかりの読売日本交響楽団他と共演をしています。


「6月6日にあった主なできごと」

1281年 弘安の役…モンゴル(中国・元)の皇帝フビライ軍は、文永の役から7年後のこの日、再び大軍を率いて北九州の志賀島に上陸しました。苦戦していた日本軍でしたが、折からの暴風雨により元軍は総崩れとなって7月初めに退散しました。日本を救ったこの暴風雨は「神風」といわれますが、鎌倉幕府は手柄のあった者に恩賞を与えることができず、衰退を速めることになりました。

1599年 ベラスケス誕生…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠 ベラスケス が生まれました。

1944年 ノルマンディ上陸作戦…第2次世界大戦中、ドイツが占領していた北フランスの海岸ノルマンディに、17万6千人の連合国軍が上陸に成功、これがきっかけになってフランス各地のドイツ軍を打ち破り、8月25日にパリ解放に成功しました。

投稿日:2011年06月06日(月) 06:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)