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「日本近代法の父」 ボアソナード

今日6月7日は、明治初期に来日したお雇い外国人の一人で、日本の国内法の整備に大きな貢献をしたフランス人のボアソナードが、1825年に生まれた日です。

明治新政府の最大の課題は日本の近代化でした。そのためには、できるかぎり早く欧米の先進技術や学問、制度を取り入れなくてはなりません。法律もそのひとつで、1858年に江戸幕府が関税自主権のない不平等な条約をアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダ5か国と結んでいたために、この条約撤廃の前提として各国は、日本に近代法典(民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法)を成立させるように求めていました。そこで日本政府は、ヨーロッパで評価の高いナポレオン法典をモデルにすることを決め、法学に詳しいフランス人専門家を雇い入れたいと人選をしていました。

たまたまボアソナードがパリ大学で法学の教師をしていて、日本人留学生の評判がよかったことから、明治政府はボアソナードに、法律顧問として招き入れたいと申し入れをしました。当初、ボアソナードにはその気がありませんでしたが、当時パリ大学では法学教授になる席が全くありません。こうして一大決意し、1873年43歳のときに来日したのでした。

ボアソナードは、司法省法律学校(現・東大法学部)、明治法律学校(現・明治大学)、東京法学校(現・法政大学)で10年あまりフランス法の講義をするいっぽう、外務・内務両省の顧問となって、内政、外交の指導に当たりました。近代法体系確立の必要性を説き、特に、江戸時代の制度を受け継いできた拷問による自白強要の廃止と、証拠裁判の実施を強く求め、1880年の「刑法」「治罪法」(後の刑事訴訟法) 制定の大きな力になりました。

さらにボアソナードは、「民法」づくりにも力をそそぎ、1890年に正式な提案をしました。その提案が、日本の伝統的な家族主義をうちこわすような自由主義に基づくものだったため、「こんなものでは、[民法出でて忠孝亡ぶ]」と、ドイツ法を学ぶ国家主義学者や議会の反対にあい、実施されるには至りませんでした。

1895年、ボアソナードは失意のうちに帰国し、1910年85歳で亡くなりましたが、国辱的な不平等条約改正の理論的バックボーンとなる「外交意見書」を著わすなど、近代日本に多大な貢献をしてくれた恩人であることを忘れてはなりません。


「6月7日にあった主なできごと」

1848年 ゴーガン誕生…日本の浮世絵やセザンヌの影響をもとに印象派の絵画を描くも、西洋文化に幻滅して南太平洋のタヒチ島へ渡り『かぐわしき大地』『イヤ・オラナ・マリア』などの名画を描いたゴーガンが生まれました。

1863年 奇兵隊の結成…長州(山口県)藩士の高杉晋作は、農民、町民などによる「奇兵隊」という軍隊を結成しました。奇兵隊は後に、長州藩による討幕運動の中心となりました。

投稿日:2011年06月07日(火) 06:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)