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『モルダウ』 のスメタナ

今日3月2日は、「ボヘミア音楽の父」といわれ、6つの交響詩からなる『わが祖国』(第2交響詩が『モルダウ』)や『売られた花嫁』などを遺したチェコの作曲家スメタナが、1824年に生まれた日です。

チェコ西部にあるボヘミア地方のビール醸造技師の子として生まれたベドルジハ・スメタナは、子どもの頃から音楽の才能をあらわし、5歳の時に弦楽四重奏団に加わりました。6歳でピアニストとして初舞台をふみ、8歳の時には舞曲を作曲するほどでした。

当時のチェコは、16世紀以来長い間ハプスブルク家の支配下にあって、オーストリアに抑圧されていました。19世紀はじめになって、ヨーロッパに興った国民主義的風潮はボヘミア地方にも及び、独立をめざす民族運動がおこりはじめていました。

スメタナは、父親の反対にもかかわらず、音楽を学ぶためにプラハに出ました。そして、ある貴族家の音楽教師の座を得て、著名な音楽家にピアノと作曲の個人指導を受けました。1848年には、作曲家 リスト から資金援助を受けて、自身の音楽学校を設立するまでになりました。同年に、革命学生部隊の行進曲をかいていますが、ボヘミア独立運動は取締りが厳しくなりました。

さらに弾圧が厳しくなったため、スメタナは1857年、スウェーデンのある音楽協会の指揮者として4年間赴任しますが、この間にオーストリア軍がフランス・イタリア軍に敗れたため、情勢の変わった故国に帰り、以前にも増して民族意識を高め、国民歌劇の創作に乗り出しました。国立劇場の創立とともに主任指揮者となって、愛国的な『ボヘミアのブランデンブルクの人々』を作曲、1866年には名作『売られた花嫁』を初演して、国民の圧倒的な支持を受けました。

しかし、1870年ころから病のため、耳がほとんど聞えなくなり、すべての公職をしりぞいて作曲に専念するようになります。傑作『わが祖国』の作曲に着手したのは1874年、それから5年間、聴覚を失った苦悩を克服して6つの交響詩を完成させました。第2曲目が『モルダウ』で、ボヘミアの森かげに源を発する2つの泉が、やがて川幅を広げ、モルダウの大河となってプラハの町に入り、草原のかなたへ流れ去っていくという情景を描いた交響詩です。

まさにスメタナは、明確にチェコの個性を表現した最初の作曲家だったため、「チェコ国民楽派の開祖」といわれています。1884年に亡くなりましたが、その音楽は『スラブ舞曲』や交響曲『新世界』などで名高い ドボルザーク に引きつがれていくのです。


「3月2日にあった主なできごと」

1894年 オパーリン誕生…生物の起源を科学的に解き明かしたソ連(現ロシア) の生化学者 オパーリン が生まれました。

1943年 野球用語の日本語化…太平洋戦争の激化に伴って「英語」は敵性語であるとされ、この日陸軍情報部は、日本野球連盟に対し、野球用語を日本語化するよう通達を出しました。ちなみに、ストライクは「よし1本・よし2本」。三振は「よし3本、それまで!」、アウトは「よし、退(ひ)け!」、フォアボールは「一塁へ」などとなりました。

1958年 南極大陸横断に成功…イギリスのフックス隊が、ウェデル海から南極大陸に上陸し、南極点を通ってロス海に到達するまで3360kmの行程を、99日間の苦しい旅の末に、この日横断に成功しました。

1931年 ゴルバチョフ誕生…ソ連最後の最高指導者となり、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、政治・経済・文化などの合理化・民主化を行って第2次世界大戦後の東西間の冷戦を終わらせたゴルバチョフが生まれました。

投稿日:2011年03月02日(水) 06:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)