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大正歌壇を代表する島木赤彦

今日12月17日は、大正時代に「アララギ派」の歌人として活躍した島木赤彦が、1876年に生まれた日です。

長野県上諏訪で生まれた島木赤彦は、14歳の時に早くも小学校の臨時教員となり、詩、短歌、俳句を作っては雑誌に投稿し、掲載されるようになりました。18歳で長野師範学校(現・信州大学)に入学してから『万葉集』に親しむうち、短歌を作ることに専念するようになりました。卒業後は、情熱的な小学校教師として16年間勤務、小学校の校長にもなって、学校運営に独自性を発揮したようです。いっぽう教職のかたわら短歌を作ることを続け、やがて正岡子規門下の歌人で、短歌雑誌『アララギ』を主宰する伊藤左千夫に師事するようになりました。

1913年に伊藤左千夫が急死したため、翌年に教職を退いた赤彦は、東京に出て、『アララギ』の編集にたずさわることになりました。以後自宅を『アララギ』の発行所とするまで、東京と長野を往復する生活を続けました。

その後の赤彦は、斎藤茂吉とともに『アララギ』の中心となって活躍しました。短歌における写生を強調し、「歌をつくることは人間をつくることだ」という信念のもとに、澄みきった、風格高い歌を作り続け、大正期の歌壇を支配しました。

信濃路は いつ春にならむ 夕づく日 入りてしまらく 黄なる空のいろ

夕焼雲 焦げきはまれる 下にして 氷らんとする 湖の静けさ

雪ふかき 街に日照れば きはやかに 店ぬち暗く こもる人見ゆ

隣室に 書よむ子らの 声きけば 心に沁みて 生きたかりけり

湖の 氷はとけて なほさむし 三日月の影 波にうつろふ

信濃路に 帰り来りて うれしけれ 黄に透りたる 漬菜の色は

ひたぶるに 我を見たまふ み顔より 涎を垂らし給ふ尊さ

赤彦の歌集には、中村憲吉との共著『馬鈴薯の花』のほか『太虚集』『柿蔭集』などがあり、『万葉集の鑑賞およびその批評』などの歌論や、北原白秋に刺激されて、第1〜3集の童謡集も著しています。

晩年は、諏訪湖を見下ろせる地に山荘を作って湖を詠んだ名歌を遺しましたが、48歳ころから神経痛と胃痛に苦しめられ、1926年に、50年の生涯を閉じました。


「12月17日にあった主なできごと」

1772年 ベートーベン誕生…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたる作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家ベートーベンが生まれました。

1903年 世界初飛行…アメリカのライト兄弟は、動力をつけた飛行機で、人類ではじめて空を飛びました。

1945年 女性に参政権…衆議院議員の選挙法改正案が公布され、女性が参政権を獲得しました。翌年4月10日に行なわれた総選挙では、82名の立候補者のうち39名の女性が当選をはたしました。

投稿日:2010年12月17日(金) 07:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)