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東洋のシェークスピア・近松門左衛門

今日11月22日は、江戸時代中期に人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎の作者として活躍した近松門左衛門が、1724年に亡くなった日です。

わが国には、3大国劇というものがあります。1つ目は、謡曲にあわせて舞を中心に物語を演じる「能」。2つ目は、華やかな舞台に男性の役者が演じる「歌舞伎」。そして、三味線と物語に節をつけて語り、人間のかわりに人形に劇を演じさせる「人形浄瑠璃」です。近松門左衛門は、このうち「歌舞伎」と「人形浄瑠璃」のための優れた脚本を150編も書いた、最大の作家といわれています。

近松は、1653年、越前国(福井県)の武士の子として生まれました。15歳ころまでは、父母や兄弟たちと歌をよむ、心豊かな家庭で育てられました。ところが、元服をむかえて杉森信盛を名のったころ、とつぜん父が浪人になってしまい、家を出て自活せざるをえませんでした。京都に出て公卿に奉公したあと、近江の近松寺に住んで仏教を学びました。この寺にちなんで、姓を近松としました。

20歳のころから作家生活に入り、はじめは歌舞伎を中心に脚本を書き、当時の名優として知られた坂田藤十郎と組んで、元禄歌舞伎の黄金時代を築きました。しかし、歌舞伎では、人間の喜怒哀楽の表現がむずかしく、名優の人気に頼らざるを得ないのが悩みでした。

やがて近松は、浄瑠璃『出世景清』を書くことで悩みを解消し、それ以後竹田出雲と組んで、大坂で活躍するようになりました。当時大坂では、井原西鶴 の小説や浮世草子が評判でしたが、高価なために誰でも買えるものではありません。それに比べて浄瑠璃は、人形操りの小屋では、一幕をソバ一杯分くらいの値段で見ることができたため、たくさんのファンができました。西鶴と近松は競いあって浄瑠璃の脚本を書くうち、軍配は近松にあがりました。負けた西鶴は、以後浄瑠璃の脚本を書かなくなったというエピソードが残されています。

近松の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第25巻「近松門左衛門」をぜひご覧ください。

近松の代表作は、『曽根崎心中』(恋仲でありながら金と義理との板ばさみで、死ななくてはならない若い生命のはかなさを描いた作品。「此の世のなごり、夜もなごり、死にゆく身をたとうれば、あだしが原の道の霜、一足ずつに消えていく、夢の夢こそあわれなれ」の一節は有名) 『心中天の網島』(おさんという妻がありながら治兵衛は、遊女小春にひかれて心中する話)などの「世話物」と、『国性爺(こくせんや)合戦』(中国の「民」王朝の危機のとき、日本に来ていた国性爺が、国へもどり王朝を再建させる物語)などの「時代物」があります。

なお、1724年に幕府は、心中物の上演を禁止しました。心中物はとても庶民の共感を呼んで人気を博しましたが、作品の真似をして心中をする人たちが続出するようになったためです。近松は、実際の心中事件を取材して、わずか1か月足らずで上演させたこともあったようです。


「11月22日にあった主なできごと」

1263年 北条時頼死去…鎌倉時代の第5代執権で、北条氏本家による独裁政治の基礎を確立した 北条時頼 が亡くなりました。

1869年 アンドレ・ジッド誕生…『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家 アンドレ・ジッド が生まれました。

1890年 ド・ゴール誕生…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家 ド・ゴールが 生まれました。

1913年 徳川慶喜死去…大政奉還を行い、250年にもおよぶ江戸幕府の幕を閉じた15代将軍・徳川慶喜 が亡くなりました。

1963年 ケネディ暗殺される…わずか43歳で第35代アメリカ大統領となった ケネディ は、人種差別問題やキューバ危機などの解決に取り組んだものの、この日テキサス州のダラスで射殺されました。容疑者も暗殺され、真相はいまだに不明です。

投稿日:2010年11月22日(月) 07:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)